2022年5月3日火曜日

橋幸夫



5月3日は、歌手・俳優の橋幸夫の誕生日です。

橋 幸夫(はし ゆきお、1943年5月3日 - )は、日本の歌手、俳優、作曲家、プロデューサー。舟木一夫、西郷輝彦(2022年2月20日死去)とともに"御三家"と呼ばれている。本名:橋 幸男(読み同じ)。血液型はA型。著書に認知症の実母の介護生活を綴った『お母さんは宇宙人』がある。

俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(ひろゆき)は甥にあたる。東京都荒川区出身。

1960年に「潮来笠」でビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からデビュー、同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たす。『紅白歌合戦』には第11回から1976年の第27回まで17回連続出場、通算19回出場した。後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」としてアイドル的な人気を集める。

1962年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が発売から「1か月で30万枚という驚異的な記録をたて(半年後の翌年5月に100万枚突破)」る大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞した。1966年、「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞。同賞ではいずれも史上初となる2度目の大賞受賞、新人賞と大賞の2冠を達成した(当時は最優秀新人賞と最優秀歌唱賞は存在しなかったため、主要な賞は新人賞と大賞のみだった)。また1964年には、邦楽にはじめてエレキサウンドを導入した『恋をするなら』をリリースし、その後『ゼッケンNO.1スタートだ』、『チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-』、『あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)』と一連のリズム歌謡を発表し、第7回日本レコード大賞企画賞を獲得している。人気と実力を兼ね備えた若手ナンバーワン歌手と目され、映画にも多数出演した。

1971年発売の「子連れ狼」は、元々は劇画のイメージソングだったが、テレビドラマ『子連れ狼』第3部の主題歌になったことで、お茶の間にも浸透。同じくトップ10入りするヒットとなり、第14回日本レコード大賞(大衆賞)、日本歌謡大賞特別賞他を受賞した。

デビューから10年余を過ぎて、佐川急便の出資を受けレコード会社「リバスター音産」を立ち上げたが、8年後に諸事情で頓挫した。

1980年前後に巻き起こった漫才ブームの時期、ザ・ぼんちのぼんちおさむが橋幸夫のものまねを頻繁に披露。歌手としてはやや低迷していた橋にもスポットが当たった。ぼんちおさむが橋の真似をする時のポーズ「あれ〜」を、1981年に橋本人がサンヨー食品のテレビCMで演じ、逆パロディとして話題になった。また清水アキラがものまねのレパートリーとしたことなどもあり、この頃よりバラエティ番組にも数多く登場するようになった。

1984年、女性アイドルグループ、セイントフォーのプロデュースに携わるが、彼女らの所属事務所との意見の相違や金銭トラブルなどが相次いで発生し、失敗に終わる。

2021年10月4日、80歳誕生日の2023年5月3日をもって歌手活動から引退することを発表。加齢による声帯の筋肉の衰えで「歌の馬力や声帯を維持することが難しくなったと実感し、それを隠したりごまかしたりするのは、自分の性格ではできない」と理由を説明した 。歌手活動引退後も芸能活動は継続する。

引用元:橋幸夫 - Wikipedia











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