1月9日は、俳優・ミュージシャンの岸部一徳の誕生日です。「ザ・タイガース」「PYG」「井上堯之バンド」のベーシストとして活躍、のちに俳優に転向。
岸部 一徳(きしべ いっとく、1947年1月9日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン(ベーシスト)、作詞家。
本名は岸部 修三(きしべ しゅうぞう)。旧芸名は岸部 修三(きしべ おさみ)、岸部 おさみ。愛称はサリー。
ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシストとして活躍し、その後俳優に転じている。身長181cm。京都府京都市出身。京都市立伏見工業高等学校建築科卒業。
所属事務所はアン・ヌフ。沢田研二の個人事務所「株式会社ココロ」社長。
1965年に、バンド「サリーとプレイボーイズ」が結成され、これが「ザ・タイガース」の母体となった。1966年にはボーカルに沢田研二を加えてバンド名を「ファニーズ」と改称、京都や大阪で高い人気を得る。同年11月に上京し、グループは「ザ・タイガース」となった。同時にファニーズ時代の瞳に代わって岸部がリーダーとなる。
1971年2月1日に元タイガースの沢田研二、元テンプターズの萩原健一、大口広司、元スパイダースの大野克夫・井上堯之らとバンド「PYG」を結成し、同年4月シングル『花・太陽・雨/やすらぎを求めて』でレコードデビューした。この曲では、岸部が作詞を担当している。PYG解散後は沢田研二と萩原健一を除いたメンバーで「井上堯之バンド」として独立する。
1975年に、久世光彦プロデューサーの薦めで『悪魔のようなあいつ』に出演して、本格的に俳優に転身する。転身にあたり、久世の紹介を受けて、悠木千帆(後の樹木希林)と安田道代が興していた芸能事務所に面接を経て所属する。1976年には、樹木の考案で「岸部おさみ」から実父である岸部徳之輔の徳、そして一から再出発という意味合い、樹木と仲のよかった市川森一から名前をもらって)で「岸部一徳」へと改名する。
1990年、小栗康平監督の『死の棘』での演技で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。カンヌ映画祭でも賞を受賞し、高評価を得た。主演俳優としても頂点に立つが、大林宣彦をはじめ、市川崑、北野武らからもラブコールを受けて作品の常連として出演するなど、その後も様々な役をこなすバイプレーヤーとして活躍する。
俳優転向後も度々音楽活動を行っており、1981年から1983年のタイガース再結成に参加したほか、1988年タイガース・メモリアル・クラブ・バンドに参加し、2年程在籍した。1997年には沢田研二、森本太郎と共に、ロック・ユニットTEA FOR THREEを結成し(現在、活動休止中)、PYG時代〜井上堯之バンド時代を髣髴とさせるプレイを録音した。引用元:岸部一徳 - Wikipedia