6月17日は、元歌手・女優・タレントだった中原理恵の誕生日です。1978年に歌手としてデビュー、80年代にはタレント・女優として活躍、2000年ごろまで活動。
中原理恵(なかはら りえ、1958年6月17日 - )は、日本の元歌手・女優・タレント・司会者。かつて田辺エージェンシーに所属していた。本名は目加田 貴美恵(めかた きみえ)。
1978年、CBS・ソニーからアルバム『TOUCH ME』で歌手デビュー。アルバム発売後にリリースされた1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽っていた。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。第二弾「ディスコ・レディー」もヒットとなる。
芸名は既に高校生時代に自ら考えていたというもので、本名が6文字で長いので、4文字で明るく軽い響きの名前に憧れていたということで姓名判断の字画も自分で調べて名付け、この名前で友人たちと呼び合って遊んでいたりしていたという。
1981年から1982年にかけて、フジテレビ系列『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の人気コーナー「良い妻、悪い妻、普通の妻」で「よし子」「わる子」「ふつ子」の一人三役を演じ、それまでのシリアスなイメージを打ち破る弾けたコメディエンヌぶりで人気が爆発。演技力、カンの良さ、トークの切れが高く評価されることになる。『ドリフ大爆笑』でもセミレギュラーに近い扱いでたびたび出演しオチを任されることも多かった(『欽ドン!』を途中降板となったのは不倫騒動ゆえと話題にもなったが、実際は彼女が歌手としてもうひと花咲かせたいと訴え、萩本欽一がコメディエンヌとしての充電も必要、とその意を汲んだため)。
これを受け、映画監督の市川崑がエド・マクベインの『クレアが死んでいる』翻案に挑んだミステリ映画『幸福』で抜擢を受ける。原作のクレアにあたる役で、冒頭部と回想場面のみの出演だが、映画そのものが彼女のアップから始まるなど印象的な起用となっている。その後は、人気映画『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』のマドンナ役やサスペンスドラマの主演など、歌手・コメディエンヌ・女優とマルチに活躍するようになる。引用元:中原理恵 - Wikipedia