2023年1月4日水曜日

フィル・ライノット (シン・リジィ)



1月4日は、アイルランド出身の歌手・ベーシストのフィル・ライノットの命日です。主にロックバンド「シン・リジィ」で活躍した。1986年1月4日没。36歳。

フィル・ライノット(Phil Lynott、1949年8月20日 - 1986年1月4日)は、アイルランド出身のロック・シンガー、ベーシスト、詩人。

その功績に敬意をこめて「ザ・ロッカー (The Rocker)」と呼ばれる。かつて日本語では「フィル・リノット」と表記されていたが、近年は「ライノット」でほぼ統一されたため、本項もそれに従う。

学業を終えると本格的な音楽活動の道に進み、ブラック・イーグルスを経て、当時アイルランドで最も先進的なロックを演奏していたとされるスキッド・ロウに加入。ここでベースの奏法を習得し、以後ライノットの演奏スタイルが確立される。

1969年に高校時代の友人ブライアン・ダウニーらとシン・リジィを結成し、中心メンバーとして活躍した。

1983年にグループ解散後、グランド・スラムという新バンドを結成したが不調に終わり、ソロ活動やゲイリー・ムーアとのコラボレーションを行っていたが、1986年にヘロイン注射に伴う内臓の感染症、敗血症により急死。36歳。

2005年、彼の生涯の功績を記念してアイルランド・ダブリンに銅像が建てられ、8月19日に彼の母を迎えて除幕式が行われた。

1978年、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』の制作に携わり、最高位8位のシングル・ヒットとなった「パリの散歩道」の作詞を手がける。この曲はムーアの代表曲として彼の生前、必ずライブで取り上げられていた。歌詞の冒頭は「I remember Paris - in 49(1949年のパリを覚えているよ…)」で始まるが、これは父親に宛てたメッセージである。フィルの父親セシル・パリスはブラジル系黒人の軍人であり、アイルランド駐屯中に母親と出会う。1949年にフィルは生まれるが、父親は彼の顔を見ることなく帰国。なお、ライノットは1976年に父と対面を果たすが、自分の幼少期に不在だった父に対して良い感情は持てなかったという。

引用元:フィル・ライノット - Wikipedia




シン・リジィ - Wikipedia



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