1月2日は、脚本家の上原正三の命日です。2020年1月2日没。82歳。主に特撮やアニメ関連の脚本を担当することが多かった。
上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2020年1月2日)は、日本の脚本家。沖縄県那覇市出身。
1964年、沖縄のローカル番組『郷土劇場』の1篇「しみるするぬーが」で脚本家としてデビューした後、『ウルトラQ』の第21話「宇宙指令M774」で全国区のテレビライターとしてのデビューを果たす。
『ウルトラセブン』では、メインライターの金城が途中から『マイティジャック』に注力していたため、若手の上原と市川森一が文芸の中核を担うようになり、多くの脚本が割り当てられた。上原はその任務を果たし、『怪奇大作戦』でさらに健筆を振るい、次第にその才能を開花させていく。
1969年、金城が円谷プロを退社して沖縄へ帰郷するのと同時に上原も退社し、フリーの脚本家となる。
1971年の『帰ってきたウルトラマン』ではメインライターを務め、第2期ウルトラシリーズの基礎を築いた。次作『ウルトラマンA』にも引き続き参加したが、さらにその次作『ウルトラマンタロウ』の初期で一旦シリーズを離脱する。『ロボット刑事』からは東映の作品を中心に活動し、『がんばれ!!ロボコン』や『秘密戦隊ゴレンジャー』を大ヒットさせる。また、この時期からは実写作品のみならず、東映動画(現:東映アニメーション)制作のテレビアニメ作品も手がけるようになる。
それ以降は一貫して子供番組の企画を担当し、特撮やアニメ作品の脚本を手がけている。特にスーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズの初期作品にはメインライターとして参加し、シリーズの基礎を築いた。1987年3月の『時空戦士スピルバン』の終了まで多数の東映作品の脚本を執筆し、1995年の『超力戦隊オーレンジャー』が最後の東映作品となっている。その後は『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンマックス』などのウルトラシリーズを散発的に執筆しており、過去に手がけた作品のオマージュであることが多い。
2017年6月、『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(筑摩書房)に次ぐ2作目の小説『キジムナーkids』(現代書館)を刊行し、同作で2018年の第33回坪田譲治文学賞を受賞する。
2020年1月2日、肝臓癌のため死去。82歳没。引用元:上原正三 - Wikipedia