2022年3月14日月曜日

鈴木ヒロミツ



3月14日は、俳優・歌手・タレントの鈴木ヒロミツの命日です。2007年3月14日没。60歳。

鈴木 ヒロミツ(すずき ひろみつ、1946年(昭和21年)6月21日 - 2007年(平成19年)3月14日)は、歌手、俳優、タレント。所属事務所はホリプロであった。本名は鈴木弘満(読みは同じ)。

1967年にデビューしたザ・モップス(実弟のスズキ幹治がドラムス担当)のボーカリストとして芸能界入り。モップス時代は「鈴木ひろみつ」「鈴木博三」とも表記。

ザ・モップスが1974年に解散して以降、俳優・タレントとして活躍。1971年に放映されたモービル石油(現:ENEOS)のCM「のんびり行こうよ」編ではCM演出家の木村俊士とともにガス欠のクラシックカーを押す青年の役を演じ、昭和の名CMの一つとなった。1974年からTBSで放送された大映テレビ製作のドラマ『事件狩り』への出演に引き続き、刑事ドラマ『夜明けの刑事』『新・夜明けの刑事』『明日の刑事』にうだつの上がらない刑事役で出演、エンディング・テーマも担当した。

芸能界きっての美食家としても知られ、紀行番組のグルメリポーターとしても活躍、2002年に自らが堪能した絶品料理を紹介した単行本『食わずに死ねるか!』を出版した。

また、大の中日ドラゴンズのファンで(実の母親が名古屋市生まれだった)、東海テレビのドラゴンズ応援番組『ヒロミツのスーパードラゴンズ』(『ドラゴンズHOTスタジオ』の前身)ではメイン司会を務め、多くの選手や首脳陣と親交があった。しかし番組内で「こんなことなら、星野ドラゴンズって名前を変えればいいんですよ」と星野仙一監督を批判、この発言が原因で番組を降板している。

NHK教育テレビで、中学生向けの英語番組の司会もつとめていた。

2007年3月14日午前10時02分、肝細胞癌のため東京都千代田区の病院で死去。60歳没。医師の診察を受けた際には既に病状が進行しており、告知も冷静に受け止めた。入院治療より家族とともに過ごすことを選んだ。戒名は「美雄永満愛大喜善居士」で、その戒名は生前に決めていたと言う。戒名には自分の名や家族の名前の一部が入っており、家族を愛する気持ちが込められている。亡くなる1週間前に行ったインタビューと、病床で書いた妻と子供への手紙をまとめた単行本『余命三カ月のラブレター』が死後出版された。

引用元:鈴木ヒロミツ - Wikipedia




ザ・モップス - Wikipedia 右から2番目が鈴木。



人気の投稿(過去7日間)