3月1日は、ミュージシャン・俳優のかまやつひろしの命日です。グループサウンズ「ザ・スパイダース」のメンバーであり、ソロとしても活躍。2017年3月1日没。78歳。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年(昭和14年)1月12日 - 2017年(平成29年)3月1日)は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)出身。血液型はB型。
父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
青山学院中等部卒業、青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。青山学院高等部卒業。青山学院大学中退。ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などのジャンルに取り組み、グループ「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」の一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演した。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。また、かまやつは田辺靖雄を中心にした六本木野獣会のメンバーだった。
「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカル及びリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。70年9月の最後のシングル「エレクトリックおばあちゃん」は、かまやつの作曲だった。
1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』を発売。1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、元々ザ・タイガースの岸部修三(現・一徳)と岸部シロー兄弟のデュオアルバム『Sally & Shiro』のために書き下ろされた曲のセルフカバーであったが、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映された。1970年代初頭のフォークブームに触発され、主導権を奪ったフォークシンガーの吉田拓郎に接近し、吉田作品の「シンシア」、「我が良き友よ」などを歌う。「我が良き友よ」は90万枚を超えるセールスを記録し代表曲とした。
音楽活動の傍ら、テレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演している。
2016年9月6日、9月10日に出演予定だったイベントを欠席することと肝臓がんであることが所属事務所から発表された。10月に退院後、同年12月8日には、堺正章の70歳記念ライブに訪れた。当初は客席後方で観ていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺と2人で『サマー・ガール』を歌った。がん公表後初の公の場での姿であったが、同時にこれがかまやつ自身最後の公の場での歌唱となった。
2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去。78歳没。妻も同年2月に亡くなっており、かまやつは最期まで知らないままだったという。なお、妻の告別式の時点で意識混濁状態だった。
ザ・スパイダース - Wikipedia 真ん中がかまやつ