2024年3月31日日曜日

戸川純 (ヤプーズ・ゲルニカ)



3月31日は、歌手・女優・タレントの戸川純(とがわ じゅん)の誕生日です。「ゲルニカ」や「ヤプーズ」などのバンドのほか、ソロや女優としても活動した。

戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家。東京都新宿区出身。戸川京子は妹。

ゲルニカ、ヤプーズでの音楽活動の他、ソロヴォーカリストとしても活動している。タブー視された事柄を歌詞に盛り込み、女性像の表現に禁忌がないことを世の中に提示した。

関東学院大学に入学した後、映画を見るため出かけていた日比谷公園で、たまたま、後にゲルニカでコンビを組む上野耕路が所属していたパンク・バンド「8 1/2」と出逢う。彼らが出入りしていた渋谷の伝説的ロック・カフェ「NYLON100%」に入り浸るようになり、この頃よく李香蘭の「蘇州夜曲」を歌っていた。

同時期に女優を目指して1980年のテレビドラマ『しあわせ戦争』のオーディションにも参加し、自己アピールで「蘇州夜曲」を歌い準レギュラーでの出演を獲得。1981年に上野耕路、太田螢一との3人で音楽ユニット「ゲルニカ」を結成。

1982年は5月にテレビドラマ『刑事ヨロシク』で警察署のお茶汲み役「西ツヤ」に抜擢。6月にはゲルニカのボーカリストとして『改造への躍動』でアルバムデビュー。他にもYAMAHAエレクトーン、9月にTOTO「ウォシュレット」CM出演、後者はお茶の間にインパクトを与えた。これを受けて、本人は「私にとって1982年は、物事が一気に動いた年」と位置づけている。

1983年5月、「ヤプーズ」でライブ・デビュー。1984年、アルバム『玉姫様』でソロ・デビュー。同年「裏玉姫」をリリース。1985年「極東慰安唱歌」発表。作詞も行う。

1995年11月、当時の所属事務所への方向性や金銭を巡る不信、バンドメンバーの脱退、ライブビデオの編集(無断発売)などの度重なる人間関係のトラブルを苦に、自宅マンションにて首を剃刀で切り自殺を図る。幸い頸動脈に達していなかったことから一命を取り留めた。狂言自殺疑惑、自傷時に流れ出た血液で部屋の壁に「皆憎」という文字を書いた事などが話題に。

その後、3年間の充電期間を経て、1998年からフリーランス・個人事務所名義の「ヤプーズ」として活動を再開。テレビ・ラジオ等の出演は控えるようになる。

2016年、3つのプロジェクト「戸川階段」「戸川純 avec おおくぼけい」「戸川純 with Vampillia」をスタートさせる。1月20日『戸川階段』発売。11月25日単行本『戸川純全歌詞解説集』発売。12月14日『わたしが鳴こうホトトギス』発売。ホトトギスのアーティストビジュアルには、自身のファンでもある冨樫義博が作成。戸川純とVampilliaメンバー全員を漫画『HUNTER×HUNTER』の『幻影旅団』風に仕上げた。

2017年2月14日、DOMMUNEで、戸川純の芸能生活35周年特別番組「疾風怒濤きょうは晴れ」が生配信され、メディアから姿を消して以来22年ぶりに番組に出演した。

2020年5月、YouTubeチャンネルにおいて「戸川純の人生相談」を開始。1995年以降控えていたメディアの定期的なレギュラーとしての顔出し出演を、ユーチューバーとして本格再開する(ただし、1980年代から1990年代にかけてのような、地上波番組出演や役者活動は行っていない。)。

引用元:戸川純 - Wikipedia





















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