2月18日は、アメリカのプログレッシブハードロックバンド「スティクス」の元メンバーで歌手・シンガーソングライター・キーボーディストのデニス・デ・ヤング(DENNIS DeYOUNG)の誕生日です。1972年に「スティクス」はデビュー、バンドは80年代に最善期を迎えた。「スティクス」の顔と言える存在だったが、デニス・デ・ヤングは1999年に脱退、以降ソロ歌手として活動をする。
1947年2月18日生まれ。1970年にSTYXが結成され、1972年に『STYX』でデビュー。以降、1999年の『BRAVE NEW WORLD』を最後に脱退するまで、“Lady”(1974 / 全米4位)のヒットを皮切りに“Babe”(1979 / 全米1位)、“The Best Of Times”(1981 / 全米3位)、“Mr. Roboto”(1983 / 全米3位)、“Show Me The Way”(1990 / 全米3位)といったシングル・ヒット曲を作曲し、合計7曲を全米トップ10ヒットさせている。アルバムも『PARADISE THEATER』(1981)の全米1位を筆頭に、5作がトップ10に入っており、アメリカを代表するロック・バンドのリード・シンガー、キーボーディスト、ソングライター、プロデューサーとして文字通りSTYXの顔であった。
1980年代からソロ活動もスタート。『DESERT MOON』(1984)、『BACK TO THE WORLD』(1986)、『BOOMCHILD』(1988)という3作のロック・アルバムを80年代にリリースした後、1994年にはブロードウェイ・ミュージカルの楽曲を歌った『10 ON BROADWAY』やデニス自身がミュージカル用に制作した『THE HUNCHBACK OF NOTRE DAME: A MUSICAL BY DENNIS DeYOUNG』(1996)をリリースし活動の幅を広げ、1999年にSTYXを脱退して以降は、自身のソロ活動でSTYXの楽曲を演奏。オーケストラと共演してSTYXの楽曲を演奏した『THE MUSIC OF STYX: LIVE WITH SYMPHONY ORCHESTRA』(2004)や『DENNIS DeYOUNG AND THE MUSIC OF STYX - LIVE IN LOS ANGELS』をリリースしている。また、ロック・アルバムとしては2007年に『ONE HUNDRED YEARS FROM NOW』をリリースしている。
これらの活動を経てデニス・デ・ヤングとしての最終作を制作していることを発表。きっかけは同時代を生きる元SURVIVOR、現PRIDE OF LIONSのジム・ピートリックとの共作だった。ジムと制作した楽曲、デニスが書き上げた楽曲が多数に及び最終作は二部作とされ、ジュリアン・レノン、トム・モレロといったゲストも招き『26 EAST』が制作される。なお、アルバム・タイトルはSURVIVOR発生の地、イリノイ州シカゴはローズランドの住所に由来する。
スティクス (バンド) - Wikipedia 1976年 - 1984年