2024年2月17日土曜日

藤田まこと



2月17日は、俳優・歌手・コメディアンの藤田まこと(ふじた まこと)の命日です。2010年2月17日没。76歳。

藤田 まこと(ふじた まこと、1933年〈昭和8年〉4月13日 - 2010年〈平成22年〉2月17日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン。 東京府東京市(現:東京都)豊島区池袋生まれ、京都府京都市育ち。京都市立堀川高等学校中退。血液型はAB型。身長173cm。

父は俳優の藤間林太郎。次女は『必殺仕事人V』『必殺橋掛人』の主題歌「さよならさざんか」を歌った藤田絵美子(現:EMIKO)。孫(長女・敬子の娘)は歌手の花リーナ。大正三美人の一人林きむ子は父の異父姉で伯母にあたる。曾我廼家喜劇の女形だった曾我廼家弁天は父の異父兄で伯父にあたる。いとこに、兵庫県副知事から姫路市長に転じた戸谷松司がいる。

オフィス斉藤所属。過去には渡辺プロダクション、ごく一時期には吉本興業、その後は新演技座(個人事務所)に所属していた。2002年に紫綬褒章を受章。

1940年代後半、林太郎が所属していた一座に雑用係として参加するようになり、ほかの一座の巡業にも参加するようになった。17歳のときに歌謡ショーの一座の公演で「旅笠道中」を歌ったのが藤田の初舞台で、やがて舞台俳優としても活動するようになった。「藤田まこと」の芸名を名乗るようになったのはこの時期である。

1962年、時代劇コメディー『てなもんや三度笠』に出演。それまで脇役しか演じたことのなかった藤田が初めて主役(あんかけの時次郎)に抜擢された。出演依頼が来た時点で藤田は脇役として、テレビで6本、ラジオで5本の番組にレギュラー出演していたがディレクターの澤田隆治に「主役の役者が他の番組で脇役を演じては恰好が付かない」という理由から、それらの番組を全て降板するように要求された。

1973年、広島のキャバレー出演中に朝日放送(ABC)[† 9]プロデューサーの山内久司から電話連絡で時代劇『必殺仕置人』の中村主水役の出演オファーを受ける。

藤田主演の『必殺シリーズ』は中断を挟みながら、1992年3月まで続いた。

1988年、『はぐれ刑事純情派』シリーズの放映が開始。派手な演出がない作品だったことから藤田は当初ヒットしないという予感を抱いていたが、「なんや知らんうちに長続き」して、18年間に渡って放映した。

1998年から放映された『剣客商売』シリーズは藤田の晩年を代表する作品の一つとなった。

2010年2月16日、箕面市の自宅で夕食後の家族団欒中に突然吐血。大阪大学医学部附属病院に搬送されたが翌17日7時25分、大動脈瘤破裂のため死去、76歳没。

引用元:藤田まこと - Wikipedia















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