2024年2月6日火曜日

大槻ケンヂ (筋肉少女帯・特撮・空手バカボン・電車)



2月6日は、ロックミュージシャン・作家・シンガーソングライター・俳優の大槻ケンヂ(おおつき ケンヂ)の誕生日です。ロックバンド「筋肉少女帯」のリードボーカル・ソングライターで特に有名。他にも「特撮」「電車」「空手バカボン」などでも活動している。

大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 -)は、日本のロックミュージシャン、作家、シンガーソングライター、俳優。本名は大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は「オーケン」。

東京都中野区野方出身。有限会社オーケン企画所属。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」など。身長178cm。血液型はB型。

少年時代、中学の同級生の内田雄一郎と共に漫画家を目指していたが、(本人が「世界で一番好きなバンド」と語ったこともある)キング・クリムゾンやピンク・フロイドら王道のプログレッシブ・ロック、YMOやヒカシューなど当時のニュー・ウェイヴ、遠藤賢司や頭脳警察、JAGATARA、ザ・スターリン、INUらの日本語詞のロック、パンク・ロックなどに影響を受け、次第に音楽の世界へと興味を持ち始める。ちなみに最も影響を受けた漫画家は蛭子能収や諸星大二郎であった。

1979年、内田の誕生日会での余興の延長線上として、友人数人とバンド「ドテチンズ」(別名:ザ・ドンズ)を結成。当初はエレクトーンを担当していた内田以外に楽器の演奏が出来るメンバーがおらず、大槻は健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていた。

1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカル・ベースに作詞を担当。ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの3人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。 1988年、トイズファクトリーからアルバム「仏陀L」を発表しメジャーデビューした。

1995年、アルバム「ONLY YOU」をリリースして、ソロデビューした。

比較的初期からバンドのフロントマン兼宣伝塔として、ニッポン放送の深夜番組の『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに登場した。

レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成した。また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯、元SOFT BALLETサポート)や小畑ポンプ(すかんち)、佐藤研二(石窟寺院など、元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ。

縁のあるミュージシャンやサブカル系のゲストを招いて新宿ロフトプラスワンにて行われるトークイベント「のほほん学校」も、1998年から定期的に行われている。

筋肉少女帯時代の一部のメンバーとは一時疎遠な関係であったが、イベントなどを通じ「仲直り」し、2006年7月に復帰。12月に筋肉少女帯復活ライブを行った。同年12月25日付で『大槻ケンヂと特撮ファンクラブ』より特撮のバンド活動休止が発表されるが、後に新しい所属事務所・オーケン企画より、活動休止ではなく、あくまで充電期間である、との説明が行われる。特撮としてのバンド活動は行われていないが、大槻ソロでの音源録音やライブでは、特撮メンバーと共に行われることがある。

1990年代前半から筋肉少女帯として活躍する傍ら文筆活動も始めている。小説に『新興宗教オモイデ教』『グミ・チョコレート・パイン』『ステーシー』などがある他、『オーケンののほほん日記』など多くのエッセイを著している。作家活動における文体は、昭和軽薄体を意識している。日本SF作家クラブの会員でもあるが、本人によれば幽霊部員状態が続いているという。

2007年、青春小説『グミ・チョコレート・パイン』が映画化された。

2011年4月1日から特撮としてのバンド活動も再開した。

2016年5月10日、声帯ポリープ切除手術を行い、退院したことを公表。

引用元:大槻ケンヂ - Wikipedia












特撮 (バンド) - Wikipedia


筋肉少女帯 - Wikipedia



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