2023年5月8日月曜日

ジル・ヴィルヌーヴ



5月8日は、カナダ出身のレーシングドライバー、ジル・ヴィルヌーヴの命日です。1977年にマクラーレンからF1デビュー、1978年からフェラーリに移籍、1982年に亡くなるまでフェラーリを象徴するドライバーとして活躍した。1982年5月8日没。32歳。

ジョゼフ・ジル・アンリ・ヴィルヌーヴ(Joseph Gilles Henri Villeneuve、1950年1月18日 - 1982年5月8日)は、カナダ・ケベック州出身のレーシングドライバー。

姓は「ビルヌーヴ」あるいは「ビルヌーブ」「ビルニューブ」などと表記されることもある。

息子のジャック・ヴィルヌーヴ、弟のジャック・ヴィルヌーヴSr.もレーシングドライバー。

F1における通算成績はポールポジション2回、ファステストラップ8回、優勝6回、チャンピオン経験なしであり、数字だけを見れば「少し速いドライバー」レベルのものである。しかし、傑出した才能やレースに対するクリーンな姿勢、諸映像に残るアグレッシブな走りから「史上最高のF1ドライバー」「記録より記憶に残るドライバー」と賞賛され、現在も後進ドライバーから憧れの対象とされることがある。

ドライビングスタイルは、自身が「以前から憧れていた」と語るロニー・ピーターソンと同じく、大胆にアクセルを踏み、カウンターステアを当てながらマシンを横向きに滑らせて走る豪快なタイプだった。果敢な走りで先行車を次々に抜いていく"タイガー"型ドライバーの典型で、ドラマチックな走りを展開するため観客に人気が高かった。「ポールポジションからスタートしてそのまま優勝するより、最後尾からスタートして6位になるレースの方がいい」という発言も残している。また、どんなに激しいバトルの最中でも他のマシンに故意に接触するような卑怯な真似は決してせず、オーバーテイク後に相手のラインを残すなど、常にクリーンでフェアなバトルを展開した。

エンツォ・フェラーリは、ヴィルヌーヴと同様に、身の危険を顧みない勇猛な走りで多くのファンを魅了した戦前の伝説のドライバー、タツィオ・ヌヴォラーリになぞらえて、亡き息子のディーノと同様に彼を愛した。エンツォがドライバーに親しく接するのは珍しいことだったと言われる。ヴィルヌーヴ全盛期のフェラーリがマシンとしては低迷期だったのも、勇猛な走りの一因ともされる。

ヴィルヌーヴの常に限界を追求する勇猛な走りは死後もなお称賛と憧れの対象とされ、この事は彼を死後早々に伝説的カリスマ化させる要因になった。反面で度々大きなクラッシュの元凶となったこともラウダを始め数多くの者に指摘されており、いくつかのレースで「危険」と具体的な非難を浴びたこともある。デビュー間もない時期の富士での大事故も、そして自らを死に至らしめた破滅的なクラッシュ事故も、いずれもフォーミュラカーの特性を考えれば可能な限り避けなければならないシチュエーションで発生させている。車体が宙を舞う派手なクラッシュを繰り返す様から「エア・カナダ」と揶揄された時期もあり、その最期にしても壮絶な事故死に多くの者が悲嘆に暮れた一方で、「来るべき時が来ただけ」という冷ややかな反応も入り混じっていたという。

引用元:ジル・ヴィルヌーヴ - Wikipedia









人気の投稿(過去7日間)