2022年11月12日土曜日

レスリー・マッコーエン (ベイ・シティ・ローラーズ)



11月12日は、イギリス・スコットランドのエディンバラ出身の歌手で、1970年代にアイドルロックバンド「ベイ・シティ・ローラーズ」のリードボーカルで一世を風靡した、レスリー・マッコーエンの誕生日です。2021年4月20日没。65歳。

レスリー・マッコーエン(Leslie McKeown、1955年11月12日 - 2021年4月20日)は、1970年代半ばに全盛期のベイ・シティ・ローラーズのリード・ボーカルを務めたスコットランドの歌手。愛称のレス・マッコーエン (Les McKeown) として言及されることもある。

マッコーエンは、1973年末から1978年まで、ベイ・シティ・ローラーズのリード・ボーカルを務めた。彼の在籍した時期はバンドが最も多くレコードを売り、世界中でコンサートをおこなった時期であった。

1978年末、バンドはマッコーエンと別れ、次いでマネージャーだったタム・ペイトンを解雇して、新たに、よりロック志向を強めた路線に進んだ。バンド名は単純にローラーズ (the Rollers) とされた。代わってダンカン・フォール (Duncan Faure) が、新たなリード・ボーカル、ギタリスト、作曲家としてバンドに加わった。

一方、マッコーエンは、ソロ活動に乗り出し、自身のバンドとしてエゴ・トリップ (Ego Trip) を組んで、よりポップな路線に進んだ。他の元メンバーとの問題があったため、マッコーエンはベイ・シティ・ローラーズで成功した日本やドイツで演奏した。1980年代後半には、音楽プロデューサーのディーター・ボーレンによってドイツで再びチャートに戻った。1990年にはユーロビジョン・ソング・コンテストのイギリス予選に参加し、「Ball And Chain」を歌ってテレビ投票で第4位に入った。

1980年にザ・タイガースの大ヒット曲をカバーした「銀河のロマンス (SILVIE MY LOVE) / 花の首飾り (YOU'RE THE WOMAN FOR ME) 」を発売して、日本中の話題をさらってくれた。1990年代以降は、当時のメンバーやその他のメンバーとともに組んだバンドで、あるいはソロで、ベイ・シティ・ローラーズのレパートリーを再び歌うようになった。2013年以降は、「ベイ・シティ・ローラーズ」を名義に含む形のバンドを率いての来日公演もしばしばおこなっている。

2021年4月20日、自宅で死去。死因は不明。65歳没。

引用元:レスリー・マッコーエン - Wikipedia






ベイ・シティ・ローラーズ - Wikipedia



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