2022年9月24日土曜日

川島なお美



9月24日は、女優・タレント・歌手の川島なお美の命日です。2015年9月24日没。54歳。

川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - 2015年9月24日)は、日本の女優、タレント、歌手。本名、鎧塚 なお美(よろいづか なおみ)。旧姓、川島。血液型はAB型。二人姉妹の長女。

愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。最終所属は太田プロダクション。夫はパティシエの鎧塚俊彦。

大学在学中に芸能界にデビュー、女子大生タレントの先駆けとなる。

文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の火曜日担当パーソナリティに抜擢され、深夜の顔となる。当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれた。この当時は自身も「ミスDJでは一人の女子大生としておしゃべりしている」と話していたことがある。

1982年、中京テレビ制作『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの画力と、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの知名度と人気を獲得した。

女子大生タレントのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代が長く、広い世代に知名度が高まるまでにかなりの時間を要した。しかし、『失楽園(TVドラマ版)』への出演をきっかけに、女優として知られるようになった。以降、ベッドシーンでは「子宮が呼吸できない気がする」との理由で撮影中に前張りを取ることを『週刊ポスト』(1997年11月3日号)のインタビューで告白したり、1993年、30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』を発表するなど、有名女優のヘアヌード発表が相次いだ1990年代において宮崎萬純らとともに日本におけるセックスシンボルの代表格のように認知された。この方向転換は、判事だった父の立場を考慮し、父が退官するのを待ってから行なった。もっとも2000年代に入り「淑やかな女優」を看板にした戦略に方向転換し、露出を前提とした女優活動は減少していく。

2013年8月に健康診断で腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも拒否。代替策としての抗がん剤治療も拒否した。腫瘍は肝内胆管癌であることが判明。「この人になら命を預けられる」と思える医師との出会いを果たして、翌年1月末に手術を受けた。川島の望みどおり、全て腹腔鏡下で行われた手術は12時間にも及んだという。

2015年9月17日、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板。9月20日、11月から12月に出演が予定されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』(劇団スイセイ・ミュージカル)についても降板が決まった。

2015年9月23日には自宅療養中であることが公表され、同年11月5日開催予定のソロライブでの復帰を目指していた。しかし翌24日19時55分、胆管癌のため永眠。54歳だった。

引用元:川島なお美 - Wikipedia









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