9月11日は、女優の夏目雅子の命日です。1985年9月11日没。27歳。
夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年(昭和32年)12月17日 - 1985年(昭和60年)9月11日)は、日本の女優。
本名は西山 雅子(にしやま まさこ、旧姓:小達)。神奈川県横浜市中区出身。
夫は作家の伊集院静。弟にプロゴルファーの小達敏昭がいる。其田事務所などに所属していた。
1976年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』のオーディションで、486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名名義で女優デビューした。この時の演技は57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった。
1977年から8年間、山口銀行の広告として起用された。同年にカネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、芸名を夏目雅子へと改名する。「夏目」の芸名は、クッキーフェイスのCMが夏をイメージするものだったことによる。また、ティナ・チャールズが歌う同CMの使用楽曲「Oh!クッキーフェイス」を自ら日本語でカバーし、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりシングルレコードをリリースし、歌手としてデビューした。このときのCMディレクターが、後の夫となる伊集院静だった。
TBSの『すぐやる一家青春記』で連続ドラマに出演したほか、映画『トラック野郎・男一匹桃次郎』のマドンナ・小早川雅子役に抜擢され、映画に初出演した。
1978年、『西遊記』で三蔵法師役を演じ、人気を得る。同じ年には毎日放送の横溝正史シリーズ『悪魔の手毬唄』で準主役。ドラマが好評で夏目の人気が高まり、バラエティー番組などのタレントとしての出演が増えていたが、「本格的に女優を目指したい」と本人が直訴して、P&M事務所から、文学座とつながりの深い其田事務所に移籍した。以降は女優業が中心となる。
1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。この映画では、当初彼女のヌードシーンはスタントを立てる予定であったが、「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」と本人が希望した。ブルーリボン賞を受賞したが、授賞式では「これからもお嬢さん芸でがんばりたいと思います」とスピーチした。
1984年、作家の伊集院静と結婚した。
夏目は舞台『愚かな女』(1985年2月3日 - 2月24日、PARCO西武劇場)のヒロイン役に抜擢され、福田陽一郎の演出の下、稽古に積極的に取り組んだ。会期を折り返した2月14日にはついに体調不良を隠せなくなり、公演続行を望む夏目を福田と共演の西岡徳馬が説得し、翌2月15日に慶應義塾大学病院へ入院した。
入院後の検査の結果、急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院とともに夫の伊集院は、仕事を中断し、亡くなるまで母親らとともに看病にあたった。『愚かな女』は福田の意向で代役は立てられず、千秋楽まで10日ほど残したところで公演が打ち切られた。
約7ヶ月にわたる闘病生活を送りながら順調に回復し、退院間近とされる報道がされていたが、8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発した。高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引き、この時に夏目本人は退院できるのではないかというほど回復傾向になったと思われたが、翌9日から再び高熱を発し、9月11日午前10時16分に死去した。27歳没。年齢が若いこともあって病の進行も早かった。臨終の言葉は「は・や・く・・・沼田に帰りたい」だった。
遺作は『北の螢』であった。引用元:夏目雅子 - Wikipedia