2021年12月4日土曜日

トミー・ボーリン (元 ディープ・パープル)



12月4日は、アメリカ出身のギタリスト、トミー・ボーリンの命日です。1975年にリッチー・ブラックモアの後釜としてディープ・パープルに加入するがバンドは1976年に解散する。1976年12月4日没。25歳。

トミー・ボーリン(Tommy Bolin、1951年8月1日 - 1976年12月4日)は、アメリカ人のロック・ギタリスト。
ハードロック・バンド「ディープ・パープル」の元メンバーとして知られる。

1968年、ハードロック・バンドのゼファー (Zephyr)のギタリストとしてプロ・デビューを果たす。3年間在籍した後、エナジーというバンドに移籍。さらにエナジー脱退後の1973年、フルート奏者のジェレミー・スタイグからの紹介により、ビリー・コブハムのアルバム『スペクトラム (Spectrum)』に参加し高い評価を得る。

その後、商業的に成功していたアメリカのバンドジェイムス・ギャング (James Gang) に、ドミニク・トロイアーノの後任として参加。

1975年6月、イギリスのハードロックバンド、ディープ・パープルに、リッチー・ブラックモアの後任ギタリストとして加入。アルバム『カム・テイスト・ザ・バンド』を発表した後ワールド・ツアーにも参加するが、1976年7月にディープ・パープルは解散。

その後は自らのバンドを結成し、2枚目のソロ・アルバム『當墓林 (魔性の目) (Private Eyes)』を発表する。

1976年12月4日、ジェフ・ベックのツアーの前座として参加していた時、フロリダ州マイアミのホテルにて死去。25歳。

死因は、麻薬の過剰摂取 (オーバードース) であると発表された。麻薬常習者であった彼の身体異常は、ディープ・パープルのツアーの時点で既に表面化しており、『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』では、手と指の麻痺によってボトルネックギターしか演奏することができなかったと言われている(後に東南アジアでの粗悪なヘロインの摂取が原因だと判明する)。近年ではアルバムの再発などによって再評価する声があるが、当時はこれらの件のために、「ディープ・パープルを解散に追いやった下手くそギタリスト」の烙印を押されてしまう他、ソロ・アルバムでのジャズとロックの融合もジェフ・ベックが美味しい所を持って行ってしまう等、最近では「悲運のギタリスト」と呼ばれることもある。

引用元:トミー・ボーリン - Wikipedia





人気の投稿(過去7日間)