2013年12月31日火曜日

さよならアメリカ、さよならニッポン


このブログでは訃報というものをネタするようなことはあまりない。やった事はある様な気はするが、あまりない、と思った。多分。もう今からこのブログのアーカイブを見直すのも面倒くさいので、多分ないという事にしておく。そういうネタは今はTwitterとかあとTumblrもやってるのでそちらに載せる事が多くなったからかな。ブログよりも短文投稿SNSのほうがレスポンス良く対応出来るので最近はこちらの方を多少は力を入れつつある。

実は本人はそういう事はあまり意識してなかったのだが、知らず知らずの間にこのブログはSEO的文章や所謂アフィリエイトなどの文章を書く事がかなり多くなってしまった様な感じがする。正直全てはお金のためだから仕方ない。これは譲れない。何言われても仕方ないが、これは全て自分のためだから本当に仕方ない。これら文章はどこかで役に立っているらしく検索でやって来る人がかなり多い様に見受けられる。Bloggerって実はスパムも多かったりします。でもPVが上がると正直素直に嬉しかったりします。アフィでモノが売れたりすると正直嬉しいのです。人間だもの。…しかしこれらをネタにする事が多くなってしまったので以前やっていた音楽ネタはかなり少なくなってしまった。アイドルネタは健在だがかなり幅が狭くなってしまった。それでもお気に入りが出てくればそれをネタにするし、そうでないものはブログではネタにしない。そしてモータースポーツ関連をこのブログでレース結果を中心に取り上げ始めたのだが、正直あまり面白くなかったよね、ブログ書いている方としては。読んでる方はもっと面白くないでしょうが。全体的には他サイトへの誘導ばかりで、これはちょっと反省します。

で、正直このブログって何のブログか分からなくなって来たなーとテンション低めに今年の反省の意味も込めて考えていたら、ミハエル・シューマッハーのスキー事故で意識不明のニュースが駆け巡った。年の瀬にこんな事もあるんだなぁとつらつらと考えていたらまた大きなニュースが飛び込んで来た。大瀧詠一氏が亡くなられた、というニュース。


ナタリー - 大瀧詠一が急逝ナタリー - 大瀧詠一が急逝

彼は昨日12月30日の19時頃に都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなったという。65歳だった。

大瀧は1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。

追記:ソニー・ミュージックレコーズの発表によると死因は解離性動脈瘤。通夜、葬儀などの今後の対応は現時点では未定とのこと。



人間、何があるか本当に分からないものです。

さよならアメリカ、さよならニッポン。さよなら大瀧詠一。

さよなら、2013年。

ではまた、2014年で。最後はこの曲で終わりです。

「さよならアメリカ、さよならニッポン」 はっぴいえんど - YouTube

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