2025年9月23日火曜日

藤子・F・不二雄 (藤本弘・藤子不二雄)



9月23日は、漫画家の藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお)の命日です。本名は藤本弘。1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)とともに藤子不二雄として活動した。代表作は「オバケのQ太郎(合作)」「パーマン」「エスパー魔美」「キテレツ大百科」「ジャングル黒べえ」そして「ドラえもん」等SFチックな作品を中心に描いていた。1996年9月23日、肝不全のため死去、62歳没。

藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒業。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)とともに藤子不二雄として活動した。代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。

1951年(昭和26年)、安孫子とともに『毎日小学生新聞』に投稿した『天使の玉ちゃん』が採用され、高校3年生(藤本は18歳、安孫子は17歳)にして漫画家デビューを果たす。高校卒業後、製菓会社に就職するが、数日で退社した。自宅で依頼原稿と投稿原稿の執筆に専念し(夜や休日は新聞社で働いていた安孫子と共に執筆)、年内に雑誌デビューを果たす。翌1953年には初の単行本を出版。同時期に掲載された雑誌の読切で初めて「藤子不二雄」のペンネームを使用。渋る安孫子を無理やり誘って1954年に2人で上京し、プロ漫画家として本格的に活動を始めた。

2人は博学博識で、そこから生まれるユニークかつユーモア溢れるアイデアは数えきれず、低年齢の子供向け作品を中心として、『オバケのQ太郎』(合作)、『パーマン』(旧作は合作)、『ドラえもん』(藤本単独作)などの国民的な大ヒット作をいくつも生み出した。

1987年(昭和62年)末に独立を発表し、1988年にペンネームを藤子不二雄Ⓕに変更。1989年からは藤子・F・不二雄に改名し、「大長編ドラえもん」を中心に執筆活動を続けた。

藤本と安孫子は共に幅広いジャンルで活躍。2人共1990年代まで一貫して児童漫画を描き続けたが、1970年代にダークな作風を最も生かして大人漫画や少年漫画を多数長期連載した安孫子に対し、藤本は大人向けの短編作品などを時おり手がけながらも『ドラえもん』を中心とした子供向け作品をメインに漫画の執筆を続けた。子供向け作品を手がけるその手腕のあざやかさは、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」と極めて高い評価を得た。

1996年(平成8年)9月23日に62歳で死去。

引用元:藤子・F・不二雄 - Wikipedia

















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