9月21日は、イングランド出身のロック・ミュージシャンでボーカリスト・ベーシストである、ボズ・バレル(Boz Burrell)の命日です。プログレッシブロックバンド「キング・クリムゾン」でベーシスト・ボーカリストとして(1970年-1972年)、ハードロックバンド「バッド・カンパニー」ではベーシストとしての活躍が最も有名(1973年-1982年)。2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去、60歳没。
ボズ・バレル(Boz Burrell、1946年8月1日 - 2006年9月21日)は、イングランド出身のロック・ミュージシャン。ボーカリスト、ベーシスト。キング・クリムゾン、バッド・カンパニーの元メンバーとして知られる。バッド・カンパニー結成以前はボズ(Boz) の名前で活動した。
1960年代後半には多くのローカル・バンドを渡り歩き、ボズ(Boz)の名義で数作のシングルを発表した。ボブ・ディランの曲をカバーしたシングル「I Shall Be Released/Down In The Flood」(1968年)は、1967年に急逝したジョー・ミークの配下だったデレク・ローレンスが制作を担当し、ローレンスが当時プロデュースしていた第1期のディープ・パープルのメンバーが演奏した。
1970年10月、当時在籍していたミラーズというバンドがロンドンのマーキー・クラブでのギグを最後に解散した後、ロバート・フリップに紹介されて、プログレッシブ・ロック・・バンドのキング・クリムゾンのボーカリストのオーディションを受けて合格した。メンバーの一人で木管楽器奏者のメル・コリンズは「ボズは1960年代にボズ・ピープルやザ・サイドワインダーズ(The Sidewinders)でミュージシャン仲間によく知られていた。オーディションに来た時点で群を抜いていたので即座に決まりだと思った」と述べている。
1971年4月からフリップ、コリンズ、自分と同時期に加入したドラマーのイアン・ウォーレスと共に、ボーカリスト兼ベーシストとしてキング・クリムゾンのステージに立った。
バレルは以後、ベーシストとしての活動に比重を移していった。彼はコリンズ、ウォーレスと共にアメリカに残ってアレクシス・コーナーのバンドであるスネイプに参加して、スタジオ・アルバムと2枚組ライブ・アルバム、そしてアレクシス・コーナー名義のアルバムの制作に携わった。その後、セッション・ミュージシャンとして様々なセッションに参加した。
1973年に元フリーのポール・ロジャースとサイモン・カーク、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスが結成したバッド・カンパニーのベーシストのオーディションに合格。翌1974年に発表されたデビュー・アルバム『バッド・カンパニー』から1982年の解散前に発表された『ラフ・ダイアモンド』まで、6作のアルバムの制作に参加。在籍中は徐々に曲作りも行なっていった。
解散後の音楽活動はスタジオ経営のかたわらローカル・バンドでプレイする程度であった。1986年には、ボーカリストにブライアン・ハウを迎えた新しいバッド・カンパニーに参加するが、アルバム1作の制作に携わっただけで脱退。目立った音楽活動からは一線を引いた。
1998年のオリジナル・メンバーによるバッド・カンパニー再結成に参加。1999年には新曲4曲を含んだベスト・アルバム『バッド・カンパニー・アンソロジー』発表に伴うツアーで、久々に表舞台に姿を現した。しかし2002年のツアーには、本格的にジャズに没頭したいという理由で、大規模なツアーに消極的なラルフスと同様に参加しなかった。
2000年代に、1960年代からの旧友であるボーカリストのタム・ホワイトのCeltic Groove Connectionで活動。エジンバラ大学でのコンサートの映像が残っている。
2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去した。60歳没。