2025年9月8日月曜日

紺野美沙子



9月8日は、女優の紺野美沙子(こんの みさこ)の誕生日です。1976年ごろからテレビドラマに出演、1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロインを演じた。以降数々の話題作に出演、その才能を生かし「紺野美沙子の科学館」などの冠番組への出演もした。以降女優として活動中。

紺野 美沙子(こんの みさこ、1960年〈昭和35年〉9月8日 - )は、日本の女優。1983年エランドール賞新人賞、1987年 第10回日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。テレビドラマ、映画、舞台などで活躍。「朗読座」主宰。2022年から横綱審議委員会委員。

児童劇団に在籍中にNHK少年ドラマシリーズ等に出演した後、1979年、3代目ユニチカマスコットガールになった。1980年、NHK連続テレビ小説『虹を織る』のヒロインを演じた。芸名は母親の旧姓の「菅野」に自分の好きな色の「紺で紺野。そして美沙子は元々両親が自分に名付けようとしていた名前で、ただ生まれた当時「沙」の字が人名用漢字に無かったために止む無く美佐子と名付けたという経緯がある。

カリタス小学校、カリタス女子中学校、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業。学位は文学士(慶應義塾大学)。

1992年に当時TBSテレビ局員(現・富山県氷見市副市長)であった篠田伸二と結婚。篠田との間に1子あり。

1998年、国連開発計画親善大使に就任し、アジア・アフリカの各国を視察するなど、国際協力の分野でも活動している。著作に、親善大使として訪れた国や人々について綴った『ラララ親善大使』(小学館)がある。2010年秋より「紺野美沙子の朗読座」主宰。2016年1月、岐阜県図書館名誉館長に就任。

好角家としても知られ、2019年には日本相撲協会に請われて「大相撲の継承発展を考える有識者会議」委員を、2022年からは横綱審議委員会委員を務めている。「元祖スー女」と呼ばれることもある。

2021年、銚子電鉄の「激つらチャンネル」でYouTubeデビューし、作詞作曲の応援ソング『ちょうしに乗っていこう!』を『ちょうしに乗り体操』のダンスと共に披露した。

2025年3月、27年間務めた国連開発計画親善大使を女優の芦田愛菜に引き継ぎ、退任した。

引用元:紺野美沙子 - Wikipedia

























2025年9月7日日曜日

クリッシー・ハインド (プリテンダーズ)



9月7日は、アメリカ合衆国の女性ミュージシャンで、イギリスのロックバンド「プリテンダーズ」のメンバー・リードシンガー・ソングライターのクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)の誕生日です。ロックバンド「プリテンダーズ」での活動の他現在まで様々なプロジェクトで活動している。

クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde、1951年9月7日 - )は、ロックバンドのプリテンダーズのメンバーとして知られる、アメリカ合衆国のミュージシャンである。

ヒッピー文化の影響を受けたハインドは、ロンドンにあるマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクスタイルの衣料品店SEXで働いた。1978年には、ピート・ファーンドンやジェイムス・ハニーマン・スコット、マーティン・チェンバースとバンド・プリテンダーズを結成し、ハインドはシンガーとソングライター、ギタリストを担当した。ハインドはプリテンダーズ以外の活動として、フランク・シナトラやUB40など他のミュージシャンと共演して、いくつかヒット曲を出している。ハインドとプリテンダーズは、2005年にロックの殿堂入りを果たしている。

1978年、ハインドはリアル・レコード・レーベルのオーナーであるデーブ・ヒルにデモテープを送った。ヒルはハインドにバンドを結成するように助言した。1978年春、ハインドはピート・ファーンドン(ベース)と出会い、その後彼らはジェイムス・ハニーマン・スコット(ギター、キーボード)とマーティン・チェンバース(ドラムス、パーカッション)をバンドメンバーに選んで、プリテンダーズという名前をグループにつけた。この名前は、プラターズの1955年の曲「ザ・グレート・プリテンダー」のサム・クック・バージョンに影響をうけたものである。

彼らは「プレシャス」、「ザ・ウェイト(The Wait)」、キンクスの「ストップ・ユア・ソビング」などをデモテープに録音して、ハインドの友人であるニック・ロウに手渡して、シングル「ストップ・ユア・ソビング/プレシャス」をプロデュースしてもらいパリで最初のギグを行った。このシングルは1979年1月に発表され、イギリスでトップ30に入るヒット曲となった。1979年の春、プリテンダーズは最初のアルバム『愛しのキッズ』(Pretenders) を制作し、シングル「恋のブラス・イン・ポケット」(Brass in Pocket) はイギリスとアメリカのチャートを騒がせた。

引用元:クリッシー・ハインド - Wikipedia
















プリテンダーズ - Wikipedia 1980年1stアルバム「愛しのキッズ」



2025年9月6日土曜日

ROLLY (ローリー寺西・すかんち)



9月6日は、ロックミュージシャン・ギタリスト・プロデューサー・俳優のROLLY(ローリー)の誕生日です。旧芸名はローリー寺西。ロックバンド「すかんち」のギタリスト兼リードボーカリストとしても有名。ソロで音楽活動や音楽プロデュースを行うほか、ユニークなキャラクターを活かしタレントや役者としても活動する。

ROLLY(ローリー、1963年9月6日 - )は、日本のロックシンガー、ギタリスト、音楽プロデューサー、俳優。旧名はローリー寺西(ローリーてらにし)および寺西 一雄(てらにし かずお:本名)。身長171cm、体重55.5kg。既婚。従弟はシンガーソングライターの槇原敬之。

ロックバンド・すかんちのボーカル兼ギターとしてデビュー。当時はローリー寺西を名乗っていた。グラムロックを取り入れた音楽とユニセックス風のビジュアルで人気を博す。中でも楽曲「恋のマジックポーション」と「恋のミラクルサマー」は、フジテレビの番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のテーマ曲に採用されて注目を浴びた。1989年には、従弟(母の弟の息子)の槇原敬之がAXIAのオーディションに応募する際に作成したデモテープにサポートギタリストとして参加している。このデモテープは1990年3月にグランプリを受賞した。

すかんちの解散後は芸名をROLLYと改め、ソロで音楽活動や音楽プロデュースを行うほか、ユニークなキャラクターを活かし、タレントや役者(自称する肩書きは「エンターティナー」)としても活動、バラエティ番組・CM・映画・演劇などにも数多く出演。また有数の海外ロック通としても知られ、BS放送などでのロック特集にはコメンテーターとして出演することも多い。また、槙原プロデュースによる本名の寺西一雄名義での楽曲リリースもある。

CSチャンネルでは自身の冠番組『ROLLYキングダム』に出演していたが、ミュージシャンたちをテーマにした音楽番組的な企画を展開する一方で、ヌード写真撮影会を開催するなど過激な企画も展開していた。

すかんち解散から10年後の2006年、かつてのメンバーらとともにすかんちを再結成し、2日間のみの再結成ライブツアーを行った。2007年にも再結成後2度目のライブツアーを実施。また、2008年には佐藤研二(元マルコシアス・バンプ)と高橋ロジャー和久(元X-RAY)とともにTHE 卍を結成し、同名のCDを発売した。2009年の大晦日に放送された『第60回NHK紅白歌合戦』には、平原綾香のサポートギタリストとして出演。演奏曲は『ミオ・アモーレ』。

フェルナンデス、グレコのギターを愛用し、バンド時代後期には「ROLLY」の文字を象ったギターがトレードマークだった。しかし、バンド時代を通じ、ライブやレコーディングでは音質を含む演奏性からグレコ製のギターを使用することが多かった。

ジョニー・ウィンターのライブアルバムでの演奏を聴いて以来、「すごいギタリストはワンパターンだ」という信条を持つようになった。聴いた瞬間にその人物だとわかるような演奏をすることが理想だという。その他、エース・フレーリー、ウリ・ジョン・ロート、ブライアン・メイ、石間秀樹、山本恭司、寺内タケシなどからの影響を公言している。

引用元:ROLLY - Wikipedia

























2025年9月5日金曜日

アーネル・ピネダ (ジャーニー)



9月5日は、フィリピン共和国のシンガーソングライターで、2025年現在でアメリカのロックバンド「ジャーニー」のリードボーカリストとして知られている、アーネル・ピネダ(Arnel Pineda)の)誕生日です。

アーネル・ピネダ(Arnel Pineda、1967年9月5日 - )は、フィリピン共和国のシンガーソングライター。ジャーニーのリード・ボーカリストとして知られている。

ボーカリスト不在で低迷中であったジャーニーだったが、2007年秋にニール・ショーンが、YouTubeでジャーニーのヒット曲「Faithfully」をザ・ズーがカバー(アーネルの友人によりアップされていた)していたのを偶然視聴し、スティーヴ・ペリーを彷彿とさせる声質と高い歌唱力に衝撃を受け、アーネルに連絡を取る。最初、アーネルは悪戯だと思い込んで相手にしていなかったが、周囲の説得と友人のノエルの助言もあり、ニール本人だと知ると慌てて連絡を取り、サンフランシスコへオーディションに来るよう命じられる。その後、ジャーニーのボーカリストとなる。ちなみに、入国審査官に渡航目的を聞かれ、「ジャーニーのオーディションを受けに」と答えると「じゃあ『ホイール・イン・ザ・スカイ』を歌ってみろ」と言われ一節歌ったところ、あっさりと入国が許可されたという。

アーネル加入後の初作品『レヴェレイション』はチャート5位に入り、バンドにとって久々のヒットとなった。

2009年2月25日のエドサ革命の記念式典で、40歳になるまでチャンスを諦めなかったアーネルの不屈の精神と才能を称え、特別賞を受賞、「True Pride of Pinoy」等で紹介され、一躍国民的英雄になっている。3月には東名阪を周り、14日には母国フィリピンのマニラで凱旋公演も果たした。この模様は、DVD『ライヴ・イン・マニラ 2009』としてウォルマートにて限定発売された。

CBSのインタビューでは、亡き母への感謝で涙ぐむ場面もあった。また、2010年のデヴィッド・フォスター・アンド・フレンズのマニラ公演では、元シカゴのピーター・セテラ登場前にステージに呼ばれ、『シカゴ17』の代表曲「忘れ得ぬ君に」(Hard Habit to Break)をカバーした。

2011年にアルバム『エクリプス』をリリース。2013年には、彼のジャーニーへの加入と成功を勝ち取るまでの軌跡を綴ったドキュメンタリー映画『Don't Stop Believin' - The Everyman's Journey』が制作、公開された。

引用元:アーネル・ピネダ - Wikipedia














ジャーニー (バンド) - Wikipedia



2025年9月4日木曜日

あの (ano・元 ゆるめるモ!)



9月4日は、タレント・モデル・女優・歌手でアイドルグループ「ゆるめるモ!」の元メンバーだった、あの(ano)の誕生日です。2020年からはano名義でソロアーティストとして活動。愛称は、あのちゃん。

あの(9月4日 - )は、日本のシンガーソングライター、タレント、女優、モデル、元アイドル。アイドルグループゆるめるモ!の元メンバー(メンバーカラーは水色)。2020年からはano名義でソロアーティストとして活動。愛称は、あのちゃん。所属事務所およびレーベルはTOY'S FACTORY。

本名と生年、年齢は非公開で、一人称は「ぼく」。学校の先生を務める兄がいる。

ファッションセンスに定評がある。ゆるめるモ!時代、SNSのフォロワーが一際多く、ネット界のカリスマ的アイドルとして既に高い注目を集めており、あのの独特なファッションや髪型などを模倣する通称「あのちゃんギャル(あのギャル、あのギャ)」と呼ばれる地下アイドルや女性ファンが多出し、サブカル界隈でブームとなったことがある。 また、あののファッションが起源となって「水色界隈」と呼ばれる新しいファッションジャンルまで確立されている。

普段のマイペースなキャラクターから、ステージに立つと一変し、客席にダイブ、ダイブした状態で客の上を歩きながら歌う、シャウト、デスボイスなど激しいパフォーマンスを行うスタイルで「異色のアイドル」や「悪魔のアイドル」として話題を呼んだ。

2024年8月16日、自身のYouTubeチャンネルで体重測定の様子を撮影した動画を公開し、結果は身長166センチメートル・体重44.4キログラムであった。

好きな食べ物は汁、エビ、お菓子。かなりの偏食家であり、2023年6月8日放送の日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン2時間SP』では、自身の「偏食図鑑」を公開し、苦手な食べ物として親子丼、ゆでたまご、バナナ、そば、牛丼、カレー、オムライスなどを挙げ、メロンは「マズイです」と語った。他にも、米、肉類、魚類も食べられないと語る。

猛暑の夏でも家ではクーラーをつけず、扇風機を回し氷を食べて過ごすという。

『日本シン人種図鑑』(テレビ東京)では、スタッフがあのに座右の銘を尋ねると、「明日死ぬなら今死ぬ、です」と即答した。理由について、「明日死ぬって言われた時、じゃあ今死ぬよって言えるぐらい今を生きましょうと思って」と述べた。

引用元:あの - Wikipedia

























2025年9月3日水曜日

岡本舞子



9月3日は、元女優・歌手だった岡本舞子(おかもと まいこ)の誕生日です。子役モデルとして芸能界入り。「ママとあそぼう!ピンポンパン」などに出演後「モーニングサラダ」等のマスコットを務める。テレビアニメ「魔法の妖精ペルシャ」のオープニングテーマ曲「見知らぬ国のトリッパー」が有名だが、正式デビューは1985年4月25日発売のシングル「愛って林檎ですか」。1987年に「舞妓物語」に主演出演したが同年秋に引退した。

岡本 舞子(おかもと まいこ、1970年〈昭和45年〉9月3日 - )は、元・女優、歌手。東京都新宿区出身。西麻布にあった芸能事務所「フロムスクラッチ」に所属していた。血液型はO型。平尾昌晃ミュージックスクール東京本校出身。

4歳の時、渋谷の街でスカウトされ子役モデルとして芸能界入り。小学5年の時『ママとあそぼう!ピンポンパン』の3人組ユニット「レディーバッグ」のメンバー「マイコ」として出演。

中学進学後、西城秀樹が司会を務めた土曜日朝の情報番組『モーニングサラダ』から、『サニーサイド7』、『うるとら7:00(セブンオクロック)』(日本テレビ系列)へ続く一連シリーズのマスコットを務める。

また、テレビアニメ『魔法の妖精ペルシャ』のテーマ曲「見知らぬ国のトリッパー」を歌うほか、声優としてもゲスト出演した。

飯田久彦プロデューサーに歌の才能を認められてスカウトされ、14歳中学3年の時、1985年4月25日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)より「愛って林檎ですか」で正式にアイドル歌手としてレコードデビュー。キャッチフレーズは「今、 とっても JUICY AGE」。その年のビクターイチオシ新人で、数多くの新人賞レースにも参戦し、同年「第4回メガロポリス歌謡祭」優秀新人エメラルド賞、「新宿音楽祭」銀賞、「第15回銀座音楽祭」審査員特別賞、「全日本歌謡音楽祭」新人奨励賞、「第16回日本歌謡大賞」新人賞を受賞した。

その後はミュージカルへの出演など順調な芸能活動を続け、1987年には松竹映画『舞妓物語』でスクリーンデビューを果たす。しかし、同年秋に引退した。

現在は一児の母。

引用元:岡本舞子 - Wikipedia





























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