8月19日は、イギリスのベーシスト・ソングライターで、ロックバンド「クイーン」のベーシストとして最も有名なジョン・ディーコン(John Deacon)の誕生日です。「マイ・ベスト・フレンド」、「地獄へ道づれ」、「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」などのヒット曲を作詞・作曲した。現在は「クイーン」としての活動並びにミュージシャンとしての活動は引退している模様。
ジョン・リチャード・ディーコン(John Richard Deacon、1951年8月19日 - )は、イギリスのベーシスト。ロックバンド、クイーンのメンバーで、「マイ・ベスト・フレンド」、「地獄へ道づれ」、「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」などのヒット曲を作詞・作曲した。
クイーンのメンバーの中では最年少であり、加入も一番遅かった(1971年加入)。温厚な人柄で、メンバー間の衝突で訪れたバンド解散の危機を幾度も救ったとされ、ビジネス面においてはイニシアティブを握っていたとされている。担当楽器はベースであるものの、ギター、ピアノ、キーボード、シンセサイザー等多くの楽器を演奏できるマルチプレイヤーでもある(「ワン・ヴィジョン」のミュージック・ビデオなどで確認することができる)。クイーンのメンバーでは、一番多くの子を儲けた。
クイーンのボーカルであるフレディ・マーキュリーを1人のアーティストとして尊敬しており、「クイーンのボーカルはフレディ以外には考えられない」と度々発言しており、フレディ没後のクイーンとしての活動にはほとんど参加をしていない。バンドに対して多くの楽曲も提供しているが、彼自身が歌うことやコーラスをとることはほとんどなく、自身では「自分は音痴だ」とも語っていた(ミュージックビデオ内で歌っているような姿が見えるが、口パクであることがほとんどである。ライブではコーラスを取ることもしばしばある)。また、フレディと彼のパートナーであるジム・ハットンとの関係性についても一番よく理解を示していた。
テイラーとはバンド時代、プライベートでも仲がよく、特に80年代は双方の家族ぐるみで遊びに行っている。
電子系の大学を卒業しており機械関係に強かったため、ブライアン・メイに自身のエフェクターやアンプをたびたび作製したり改造するなど、演奏や作曲以外でもサウンド面でバンドに貢献していた。中でも、メイが使用していたディーコン作製のオリジナル・アンプ、通称“DEACY AMP(ディーキー・アンプ)”は、ギター・レッド・スペシャルとエフェクターとギターテクニックの組み合わせにより七色のサウンドを出すことが可能だった。
マーキュリーの死後は音楽活動に消極的になり、追悼コンサートの参加にも当初は否定的で、メイとテイラーの強い説得によってようやく参加を決めたという。
1997年以降、表舞台に出る機会が激減したため、引退の真相は不明だったが、2004年にテイラーが「ジョンは事実上、引退している」と発言したほか、クイーンと付き合いの長い東郷かおる子が寄稿したクイーン+ポール・ロジャース日本公演(2005年)のパンフレットには「音楽業界から引退」と記載された。
クイーンの広報担当者が『Daily Mail』紙に語ったところによると、バンドが運営する事業の平等な株主でもあり、資産も多く、引退後はひっそりと暮らしているという。メイは「今の生活は彼が選んだことだし、俺達にも連絡はないんだ。ジョンは最初からとても繊細な人だったからね」、テイラーも「一切、音沙汰はない」と語っている。
テイラーによると、元来ディーコンは表舞台に出るのが苦手で、音楽業界の慌ただしさや狂騒に強いストレスを感じていたようで、マーキュリーが亡くなったことで、さらに内にこもるようになってしまったという。それでも「今でも俺達と同じクイーンの一員であることに変わりはないよ」と話している。