8月16日は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優である、ピーター・フォンダ(Peter Fonda)の命日です。60年代後半から80年代にかけて活躍、代表作に「イージー・ライダー」「さすらいのカウボーイ」「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」「アイダホ・トランスファー」「だいじょうぶマイ・フレンド」など。以降2019年8月16日に肺がんによる呼吸不全のため死去するまで俳優・プロデューサーとして活動を続けた。79歳没。
ピーター・フォンダ(Peter Fonda, 1940年2月23日 - 2019年8月16日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優。父は名優ヘンリー・フォンダ、姉は女優ジェーン・フォンダであり、芸能一家で育つ。娘のブリジット・フォンダも女優として活躍している。
大学時代から演劇活動を本格化させ、卒業と同時にブロードウェイに進出する。1963年『タミーとドクター』で映画デビューを果たし、清純で一本気な青年役のキャラクターで売り出すも、商業主義の作品に嫌悪感を抱く。さらに、自らが想い描く俳優像とは異なるエリート青年役が続いたことに疲弊し、次第にドラッグに耽溺するようになった。そんなピーターの様子に興味を抱いたロジャー・コーマンは、1966年に自らが率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)製作で実在するヘルズ・エンジェルスの生態を描いた低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』(共演ナンシー・シナトラ、ブルース・ダーン)に主演させる。当初は西海岸のみのヒットだったものの、次第に全米規模の大ヒットへとつながった。翌67年にピーターは『白昼の幻想』(共演はアクターズ・スタジオの創設者リー・ストラスバーグの娘であるスーザン・ストラスバーグ)でデニス・ホッパーとジャック・ニコルソンと出会って意気投合し、これが映画『イージー・ライダー』への布石となる。
1960年代後半、映画界に巻き起こったアメリカン・ニューシネマ(ニュー・ハリウッド)のブームに乗って、自らも映画製作会社を立ち上げ、低予算映画をいくつも量産した。そのうちの一つがインディーズ・ムービーのバイブルとも呼ばれ、カルト的な支持を得ることとなってゆく、1969年の『イージー・ライダー』であった。同作は『俺たちに明日はない』と並んで、ニュー・シネマの代表作品と見られた。彼はこの成功によって一躍アメリカン・ニューシネマの旗手となった。なお、デニス・ホッパーは後に共和党支持者になっている。
71年には『さすらいのカウボーイ』73年には『アイダホ・トランスファー』に出演した。そして74年には人気作品『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』を発表した。日本では70年代後半以降は注目されなくなってしまったが、アメリカでは地道に俳優活動を継続した。90年代は、娘のブリジットが女優として活躍した。
晩年もテレビ、映画を中心に出演した。俳優としてだけでなくプロデューサー、脚本家、監督として多方面に活躍をし続ける一方で、「華美なハリウッド嫌い」をあくまで貫くように、モンタナ州の田舎でひっそりと暮らしていた。
2019年8月16日、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で肺がんによる呼吸不全のため死去した。