4月9日は、俳優・声優の雨森雅司(あめのもり まさし)の命日です。テレビ草創期から声優として活動し、主に中高年男性の役を多く演じた。主に「天才バカボン」「元祖天才バカボン」のバカボンのパパ役が代表作。1984年4月9日、肝硬変のため死去。53歳没。
雨森 雅司(あめのもり まさし、本名:雨森 雅夫(あめのもり まさお)、1930年〈昭和5年〉7月24日 - 1984年〈昭和59年〉4月9日)は、日本の俳優、声優。青二プロダクションに所属していた。
本人いわく、役者になったきっかけは「なんとなく。」。日本大学芸術学部映画学科を卒業し、劇団戯曲座に入団。押川昌一原作の『雨宮ちよの処分』の高瀬先生役で初舞台。
その後、劇団七曜会、土の会、河の会を経て、1970年に劇団芸協の創立メンバーとなり、江崎プロダクション、オフィス央を経て、青二プロダクションに所属。
1984年4月9日午後11時50分、肝硬変のため神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学病院で死去。53歳没(享年55)。
アニメでは『天才バカボン』でのバカボンのパパ役が代表作だが、『愛してナイト』『ルパン三世』など、その他の作品では多数の脇役や悪役を担当している。洋画作品の吹き替えではワード・ボンドを持ち役とし、アニメ作品同様に脇役や悪役・老人役などを担当している。また、舞台俳優としても多くの作品に出演している。
「もし役者にならなかったら?」との問いに「死んでいたでしょう」と答えるほど、役者稼業には力を注いでいた。
年間にボトルを約300本空けるなど、酒豪として知られ、このことが肝硬変の発症と自身の寿命を縮める原因になったという。
代表作であるバカボンのパパだが、その嵌まりぶりは共演者も認めており、『元祖』で共演した、本官役の肝付兼太は「もうまったくあの親父をやるためにいたような人」と評している。バカボンのママ役で後任のパパ役とも共演した増山江威子は、雨森のパパについて後に「もうね、普段の雨さんもバカボンのパパみたいなの」と語り、後任のパパ役は役を作らないとパパを演じられない中、雨森は「持っているものそのもの」で演じていたと発言している。
パパが語尾によくつける「〜なのだ」の台詞については三時間掛けて編み出し、原作者の赤塚不二夫に「それだッ」と言わしめたという。引用元:雨森雅司 - Wikipedia
天才バカボン (アニメ) - Wikipedia