2025年4月15日火曜日

横山光輝



4月15日は、漫画家の横山光輝(よこやま みつてる)の命日です。神戸市須磨区出身。代表作に「鉄人28号」「伊賀の影丸」「仮面の忍者 赤影」「魔法使いサリー」「コメットさん」「バビル2世」「三国志」など長年にわたり幅広いジャンルで活躍した。2004年4月15日、自宅で火事に見舞われ、全身火傷を負って意識不明の重体となり、同日22時に日本大学医学部附属板橋病院にて死去した。69歳没。出火原因は寝煙草の不始末だった。

横山 光輝(よこやま みつてる、1934年〈昭和9年〉6月18日 - 2004年〈平成16年〉4月15日)は、日本の漫画家。兵庫県神戸市須磨区出身。本名:横山 光照。代表作に『鉄人28号』『伊賀の影丸』『仮面の忍者 赤影』『魔法使いサリー』『コメットさん』『バビル2世』『三国志』など、長年にわたり幅広いジャンルで活躍した。

1954年(昭和29年)、貸本漫画会社、大阪東光堂の注文で貸本漫画を描いていた横山は、出版社の社長に連れられ手塚の下に赴き、横山が描いた時代物『魔剣烈剣』に目を通した手塚は「売れる漫画家」と判断した。横山は、『魔剣烈剣』の読者からの好評に自信を得て漫画家を志すようになり、この作品におけるスピード感と娯楽性は今後の漫画作りの姿勢の基本になったと言う。

1955年(昭和30年)、貸し本向け単行本『音無しの剣』で漫画家デビュー。2作目の『白百合物語』が認められ、光文社の『少女』で初の雑誌連載『白ゆり行進曲』が開始される[4]。手塚はそのデビュー当時を「かれほど『彗星のように』という形容のあてはまる男はいない」と評している。この頃に原作手塚治虫、作画横山光輝で『黄金都市』、『ターザンの洞窟』、『海流発電』、『仮面の冒険児』で4作発表している。横山はトキワ荘の住人ではなかったが、手塚の「鉄腕アトム」のアシスタントとして活動したこともあった。

1956年(昭和31年)、映画会社を退職した後、光文社『少年』に発表した『鉄人28号』が人気を博し作家的地位を確立。『鉄人28号』は『少年』誌上で手塚の『鉄腕アトム』と人気を二分するヒット作となった。この年より上京し、以降映画会社勤務時に多くの映画を見た経験を生かして、名作を次々と生み出した。この時、鉄人28号のヒットにより本気で漫画家になろうと考えたと語っている。

1964年(昭和39年)には、神田三崎町に株式会社光プロダクションを設立する。

『魔法使いサリー』などの例外を除けば連続物語(ストーリー漫画)を多く描き、笑いの要素のほとんどない、ある意味でハードボイルドな世界の構築を得意とした。展開も絵柄も奇をてらわない正攻法でわかりやすく、後年歴史もので名を成す下地となっている。

アニメ化された作品も多く、『鉄人28号』で巨大ロボットアニメ、『魔法使いサリー』で魔法少女アニメの歴史が始まったと言われ、分野の先駆け的存在となった。

1991年(平成3年)、『三国志』により第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。受賞作『三国志』は、1971年(昭和46年)から1986年(昭和61年)までの15年の時間を要し、全60巻(文庫版は全30巻)というスケールで劉備登場から蜀漢の滅亡までが描かれた大作である。『水滸伝』『三国志』以降、横山は日本や中国の歴史漫画中心に力を注ぐことになる。中には毛沢東の長征を描いた『長征』のような近代中国史を描いた作品もある。

1999年(平成11年)には大病を患い療養。

2004年4月15日朝方、東京都豊島区千早の自宅で火事に見舞われ、全身火傷を負って意識不明の重体となり、同日22時に日本大学医学部附属板橋病院にて死去した。69歳だった。出火原因は寝煙草の不始末で、約3年前に足を骨折した後遺症のため逃げ遅れたという。遺作は2001年7月に完結した『殷周伝説』。次作については、兵法書『孫子』で著名な兵法家・孫武の物語を構想していたと編集部が明かしている。

引用元:横山光輝 - Wikipedia



























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