4月6日は、漫画家の藤子不二雄Ⓐ(ふじこ ふじお エー)の命日です。藤本弘(後の藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動したが1988年に独立し藤子不二雄Ⓐとなった。「オバケのQ太郎」(合作)や「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」「笑ゥせぇるすまん」「まんが道」などの作品で知られる。2022年4月7日、川崎市多摩区内の自宅の敷地で倒れているところを発見され、その場で神奈川県警察による調査により死亡が確認された。その後、命日は同年4月6日であることが発表された。88歳没。
藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ ふじお エー、1934年〈昭和9年〉3月10日 - 2022年〈令和4年〉4月6日)は、日本の漫画家。1988年に独立するまでは藤本弘(後の藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動した。本名は安孫子 素雄(あびこ もとお)。『オバケのQ太郎』(合作)や『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』などの作品で知られる。エッセイスト、作詞家、タレント、俳優としても活動した。
1954年6月、藤本と共に漫画家となるために上京。連載を含む仕事を月に約10抱える人気作家になるものの、1955年正月に里帰りした際に、11本の仕事のうちの5本を落とすという失態をしてしまう。幸いにも干されることはなく、翌年には再び連載を獲得。その4年後には、連載10本の売れっ子漫画家となる。
その後、『オバケのQ太郎』(合作)はアニメ化とともに大ブームを起こし、社会的に名前の知られる漫画家となる。1966年に2歳下の和子夫人と結婚。『忍者ハットリくん』『怪物くん』もほぼ同じ時代に発表し何度もアニメ化や映画化が行われる大ヒット作となる。
1968年からは大人漫画にも進出。『笑ゥせぇるすまん』の前身の『黒ィせぇるすまん』を生み出した。
1970年代には、少年漫画週刊誌に『まんが道』『魔太郎がくる!!』『ブラック商会変奇郎』『プロゴルファー猿』等を発表し人気を博した。
1986年には倒れた妻を介護する身となる。相棒の藤本が癌手術を行ったこともあり、1987年に独立を発表。1988年から藤子不二雄Ⓐとして活動するようになる。
2022年4月7日8時40分頃、川崎市多摩区内の自宅の敷地で倒れているところを発見され、その場で神奈川県警察による調査により死亡が確認された。その後、命日は同年4月6日であることが発表された。88歳没。同年10月31日、東京都内で「お別れの会」が開かれた。
藤子不二雄 - Wikipedia 安孫子素雄氏と藤本弘氏