4月7日は、ニューヨーク出身のボーカル・ギタリストのジョン・オーツ(John Oates)の誕生日です。1970年代から1980年代にかけて一世を風靡したブルー・アイド・ソウル・デュオの「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」で活躍した。口ヒゲがトレードマーク。ソロでも活動する。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ(Daryl Hall & John Oates)は、ダリル・ホールとジョン・オーツが結成したアメリカのブルー・アイド・ソウル・デュオである。ホール・アンド・オーツの略称でも知られる。2024年解散。
ジョン・オーツ(John Oates、1948年4月7日(76歳))
本名はジョン・ウィリアム・オーツ(John William Oates)。ニューヨーク出身。ボーカル、ギター担当。
父親アル・オーツはスペイン系人およびアイルランド系人の血を引き、母親アンはイタリア系人。妹はダイアンで4人家族。父方の祖父はアイルランド系イギリス人移民、祖母はモロッコ系(ムーア人)スペイン人移民。母方の祖父母はイタリア人(シチリア系)移民だった。
4歳の時に、父親の仕事の関係で一家はフィラデルフィアに引っ越した。5歳の時に遊園地の特設会場で観たビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの演奏をきっかけに音楽に興味を抱いて、ジュニア・ハイスクールに通う頃からギターを習いたいと思い始め、3年間、民間の音楽学校に通う。9歳の時にエレクトリック・ギターを手に入れ、友達らとバンドの真似事を始めた。
ハイスクールの頃には、アマチュア・バンドに参加し地元のティーン向けクラブやパーティーで演奏。レパートリーは、ジェイムズ・ブラウン、ウィルソン・ピケット、ミラクルズ、テンプテーションズなどのソウルだった。その一方、ボブ・ディラン&ジョーン・バエズ、トム・パクストンなどのフォークソングも聴いていた。
1966年にハイスクールを卒業したジョンは、地元のテンプル大学に入学しジャーナリズムを専攻。スポーツマンで、テンプル大学にはレスリングで奨学金を得ての入学だった。学業のかたわら、「マスターズ」というセミプロのソウル・バンドのボーカル兼ギタリストとして活躍。1967年の暮れに、西フィラデルフィアのダンス会場「アデルフィ・ボールルーム」で開催されたパーティーに出演した際に、楽屋で「テンプトーンズ」というテンプテーションズのコピーバンドと面識を持ち、その中のメンバーの1人だったホールが同じテンプル大学の学生だと知って話しかけたのをきっかけに親しくなる。
彼のバンド「マスターズ」は1968年にメンバーの徴兵で解散し、「テンプトーンズ」に加入する予定だったが解散したので、二人はそれぞれ別の音楽の仕事を探すことになった。ホールが「ガリバー」というロック・バンドのアルバムを制作発表していた頃、オーツはヨーロッパ放浪の旅に出ていた。1970年11月に帰国したオーツと、「ガリバー」のアルバムが不発に終わったホールは、以前から一緒に書き溜めていた曲を2人で演奏して歌うことを決め、12月にフィラデルフィアの小さなクラブで「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」としてスタートした。
1980年代に結婚、その後離婚したが現在では再婚して1児(息子タナー)をもうけ、コロラド州アスペンで生活している。
1987年にはアイスハウスの代表曲エレクトリック・ブルー(全米7位)を、ボーカルのアイヴァ・デイヴィスと共作。オーツもコーラスで参加。ソロ・アルバムでは、敬愛するミシシッピ・ジョン・ハートをトリビュートしたものなどを出している。
若いころは口ヒゲがトレードマークであったが、現在はきれいに剃っている。時折、あごヒゲや無精ヒゲを生やす場合もある。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ - Wikipedia