2025年3月8日土曜日

高木ブー (ザ・ドリフターズ)



3月8日は、コメディアン・ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)である、高木ブー(たかぎ ブー)の誕生日です。コントグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーでもある。

高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈昭和8年〉3月8日 -)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。

本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。また、全員集合のオープニングなどでは、高木 ブ~名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である。

大学卒業後は東京ガスの採用が内定していたが、それを蹴ってプロのミュージシャンとなる。これは学生時代からハワイアンバンドとしてバイトしており、すでに当時の大卒の初任給より多いギャラをもらう月もあったことから、「まぁ、なんとかなるだろう」と楽観的に音楽の道に進むことを決めた。

当時の芸名は高木智之で、自身がバンドのリーダーを務める「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」を結成。

「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のバンドマンとして日本の芸能界での活動を始める。1960年代前半にエレキブームが到来したことで新バンド「ロジェ滋野とシャドーズ」を結成。「パップ・コーンズ」時代に仲本工事と出会い次の「シャドーズ」でも行動を共にし、2人はザ・ドリフターズに加入することになる。

高木自身は当初、楽器の腕前を買われてスカウトされたものと思っていたが、後年いかりやにスカウトの理由を尋ねたところ、「太っていてコミックバンド向きの外見だから、新生ドリフにスカウトした」と言われたという。

1984年9月14日、『8時だョ!全員集合』のリハーサル中に両足のアキレス腱を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱している。

1985年9月28日に『全員集合』が終了し、その後はドリフとしての活動と並行して、単独での活動も開始した(本人によると『全員集合』終了後、ドリフのメンバーで最初に単独の仕事をしたのは高木だという)。

同じ1985年にはフジテレビ『ドリフ大爆笑』の「長介・工事・ブー おなじみ雷様」コントがシリーズ化され、「雷様」が高木の当たり役となる。以後、雷様の扮装(角付き・緑のアフロヘアーのかつらに緑色の全身タイツと虎柄ショートパンツ)がトレードマークとなる。

1999年4月から6月に放送されたNHK教育テレビ『趣味悠々 高木ブーの今すぐ始めるウクレレ』に講師として出演した。

2023年、90歳の誕生日を迎えた記念に2冊目の自伝『アロハ90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう』(小学館)を出版。高木は90歳になる前から100歳現役を目標にしていたが、彼より10歳下の加藤も同じく100歳現役を目指すことを宣言したため、これに対抗して自分は110歳まで現役を続けることを新たな目標にしたと自伝の中で語っている。

引用元:高木ブー - Wikipedia


















ザ・ドリフターズ - Wikipedia



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