2025年3月18日火曜日

因幡晃



3月18日は、シンガーソングライター・歌手の因幡晃(いなば あきら)の誕生日です。1976年2月に発売したデビューシングル「わかって下さい」が60万枚以上を売り上げる大ヒット、一気に人気者となる。以降現在まで地道な活動を続けている。

因幡 晃(いなば あきら、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。アップフロントクリエイト所属。

秋田県大館市花岡町出身。父親は鉱山技師。秋田県立大館工業高等学校時代に心を揺り動かせた音楽は、フォークソングではなく、ラジオから流れてきたシャンソンやカンツォーネだったという。高校卒業後、父と同じく鉱山技師として就職。暇を見つけては曲作りに励み、1975年に開催された『第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に『わかって下さい』で出場し最優秀曲賞を受賞。また、同曲で『第6回世界歌謡祭』に入賞したことがきっかけとなり、翌年ディスコメイトレコードから『わかって下さい』でデビュー。

当時のフォークブームに乗り、人気が爆発し稼ぎ高は30億円ともいわれ、ヤマハ(ヤマハ音楽振興会)のドル箱スターになった。当時のヤマハは因幡以外で稼げるのは中島みゆきぐらいしかまだおらず。因幡は創作活動には絶えず故郷秋田に帰る必要があると考えていたが、コンサートツアー等でほとんど秋田に帰れなくなり、ヤマハから新曲の催促を厳しく受けたこと等から、吉田拓郎の事務所・ユイ音楽工房(レコード会社は必然的にフォーライフになる)に移籍したがっているとマスメディアに報じられたため、ナベプロに育てられた森進一が造反を起こした事件に例えられた。結局、1978年8月に設立されたEPIC・ソニーに移籍している。

その後は段々とコンサートの集客にかげりが見え、スタッフが次々に去り、気が付いたら因幡一人になっていた。1983年5月に起きた日本海中部地震で、亡くなった子供たちへの鎮魂歌「十三の魂」を作り、秋田でソロでチャリティーコンサートを開き、久しぶりにギターの弾き語りをやり、忘れていたことに気付いた。「軌道に乗せられたのではない自分」を探す心の旅を続けようと決意した。

2014年、杉田二郎・堀内孝雄・ばんばひろふみ・高山厳とブラザーズ5を結成。

引用元:因幡晃 - Wikipedia

























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