2023年9月24日日曜日

丹波哲郎



9月24日は、俳優・心霊研究家の丹波哲郎の命日です。2006年9月24日没。84歳。

丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年〈大正11年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉9月24日)は、日本の俳優・声優・芸能プロモーター・心霊研究家。

東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身。身長175cm。 俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優である。 テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。 丹波プロダクション・俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけており、宮内洋は丹波の一番弟子である。

心霊学と霊界の研究、多数の書籍を著しており、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなった。

1948年に大学を卒業。卒業後は団体(公社)職員となるも俳優を志し、1950年創芸小劇場を主宰後劇団文化座に加入後、1951年春勧誘されていた新東宝に入社。芸名はこの新東宝時代に名付けられ、「新東宝が勝手に(芸名を)決めていた」と本人が話していたことがある。

陰のある二枚目としておもに敵役・悪役で活躍し、1956年公開の柳家金語楼の主演映画『金語楼の兵隊さん』の助演をきっかけに金語楼劇団へ誘われ舞台の客演もこなす多忙な状況だった。

早くから海外の映画作品にも出演しており、1961年にはキャロル・ベイカー主演のアメリカ映画『太陽にかける橋』、イギリス映画の『第七の暁』(1964年)、そして世界的なヒット作『007は二度死ぬ』(1967年)で国際的に認知され海外においても活躍した。

1968年から1973年まで放映されていたテレビドラマ『キイハンター』では黒木鉄也で主演した。黒木のイメージは『007は二度死ぬ』で丹波が演じた、タイガー田中の人物像も反映させている。最盛期の『キイハンター』は視聴率30%を越える人気ドラマとなり、当初1年の予定が5年に延ばされた。『キイハンター』終了後も、丹波は同時間帯でテレビドラマ『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』『Gメン'75』と出演して、TBS系土曜21:00の顔となる。

生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し、300万人以上の動員を得る。1994年11月には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることのできない空間を表現し話題を呼ぶ。「霊界はすばらしいところ」と発言していた。

2005年2月から約2か月間、インフルエンザと虫垂炎のために入院し、それが原因でひどく痩せ、健康が懸念されていた。2006年(平成18年)9月24日午後11時27分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。84歳没。

引用元:丹波哲郎 - Wikipedia




007は二度死ぬ (映画) - Wikipedia




キイハンター - Wikipedia




Gメン'75 - Wikipedia



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