9月22日は、60年代にグループサウンズ「ザ・タイガース」のドラマーとして活躍した、瞳みのるの誕生日です。ザ・タイガース解散後は慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当していたが、2011年に待望の現役復帰を果たした。
瞳 みのる(ひとみ みのる、本名:人見 豊【読みは同じ】、1946年9月22日 - )は、日本のドラマー、中国文学・中国語研究者。グループ・サウンズ:『ザ・タイガース』のメンバーとして活躍。ザ・タイガース解散以後は慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、漢文・中国語関連参考書を出版したことでも知られる。近年は作詞、作曲、訳詩、戯曲の原作、脚本、日中近代音楽の交流史の研究などを行なっているが、旧ザ・タイガースのメンバーとの音楽活動を再開したり、自らバンドを組織したり、戯曲の原作やプロデュースによる独自の芸能活動・執筆活動も行っている。2016年は初めて自らのバンドにて、北京で公演を行った。
1966年11月に上京、「ザ・タイガース」の瞳みのるとして活動する(本名から「瞳みのる」の芸名に変更したのは上京後である)。『ピー』の愛称で、「ジュリー」の愛称を持つボーカルの沢田に次ぐ人気を博し、雑誌の表紙やピンナップを何度も単独で飾った人気スターであった。当時、2大アイドル雑誌と呼ばれた「セブンティーン」「ティーンルック」の創刊号の表紙は、両方とも沢田と瞳が飾っている。
テクニシャンではないものの、将来はジャズドラマーを目指していた独特のリズム感や躍動感をもったドラムプレイは高く評価され、彼の影響を受けたドラマーも多い。
1971年1月24日、日本人アーティストとしては初の単独日本武道館公演となった解散公演「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」でグループは解散、直ちに瞳は芸能界を引退する。
解散後はザ・タイガースの元メンバー達との一切の交流を断ち切り、マスコミからの度重なる取材依頼に対しても徹底して拒否の姿勢を貫いていた。
2008年、沢田研二がNHK総合テレビ「SONGS」に出演し、長く会うことがない瞳に奉げた歌「Long Good-by」を歌唱した。こういったことや、ザ・タイガースの元マネージャー中井国二の働きかけもあり2008年12月、沢田や岸部一徳、森本太郎、その後、加橋かつみと、東京で相次いで約38年ぶりの再会を果たした。2010年初め頃から、複数の元メンバーがザ・タイガースの2011年再結成を仄(ほの)めかし始め、ついに2011年9月から、沢田研二ライブに参加するという形で、加橋は参加しなかったが、40年ぶりの瞳みのるの全国ツアーへの参加が実現することになり、全国で熱狂的なファンの歓迎を受けた。引用元:瞳みのる - Wikipedia
ザ・タイガース - Wikipedia