2022年4月17日日曜日

高見沢俊彦 (THE ALFEE)



4月17日は、シンガーソングライターでロック/フォークバンド「THE ALFEE」のリードギタリスト・ヴォーカリストで現リーダー、ソロ「Takamiy(タカミー)」としても活動する、高見沢俊彦の誕生日です。

高見沢 俊彦(たかみざわ としひこ、1954年〈昭和29年〉4月17日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名及び筆名は髙見澤 俊彦(読み同じ)。

埼玉県蕨市出身。蕨市立南小学校、蕨市立第一中学校、明治学院高等学校卒業、明治学院大学文学部英文学科中退(2014年3月、同学より「名誉学士」称号を授与)。身長174cm。血液型はA型。ニックネームは主に「takamiy」、「王子」。

『THE ALFEE』の2代目リーダー(1982年以降。初代は坂崎幸之助)。

BE∀T BOYS のメンバーとしてはポール・マッカーサーを名乗る。

明治学院高等学校に進学後は、「ツェッペリン・ジュニア・スペシャル」というバンドで、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどに傾倒し、その高音ボーカルを買われてコピーバンドのボーカルを担当していた。同校の同期の一人に桜井賢がいた。当時、高見沢はD組に所属、桜井はF組に所属していたため、ディープ・パープルのD、フォークのFと話題にされることがある。

1973年、桜井や明治学院大学に進学した坂崎幸之助の誘いでアルフィーの前身コンフィデンスに参加、同時期に映画『二十歳の原点』のサントラに参加する。コンフィデンスは演奏で参加することはなかったが、高見沢が「コンフィデンス」名義で「夜」の作詞を担当している(歌は四人囃子)。

1974年、コンフィデンスは「アルフィー」の名で、高見沢自身がリードボーカルを担当する「夏しぐれ」デビューすることとなり、その際ディレクターより「第二の赤松愛」と評された。しかしながら自分たちがグループとしての音楽性や信念を持たずに周囲に流されるままデビューしたことに端を発した、レコード会社による一方的なレコード発売中止などの挫折(詳しくはTHE ALFEEの項を参照)を経て、高見沢が同じ事務所だった大野真澄に師事するなどして作曲を学び、オリジナル曲を作り、ライブハウスで発表するようになる。現在、THE ALFEEのソングライティングにおいてのイニシアチブは彼が主に持っている。まだ売れなかった頃は東京メトロ半蔵門線(現在の名称)の工事現場でアルバイトもしていたという。

1979年、キャニオンレコードから、アルフィーの再デビューシングル『ラブレター』を発売。この作品以降、ほとんどの作品の作詞・作曲を高見沢が担当する。

1982年、アルフィーが行ってきたフォーク路線から、高見沢主導のロックバンド路線へ転向。それに伴い、高見沢がリーダーとなる。

1991年、アルフィーとしての活動を半年間休止し、ロンドンでレコーディングされた初めてのソロアルバム『主義-ism:』を発売(「いずむ」と発音されることが多い)。コンサートツアーも実施した(第1期ソロプロジェクトと呼ばれている)。

2004年4月17日、高見沢の50歳の誕生日にさいたまスーパーアリーナで行われたバースデーコンサートのステージ上で、坂崎・桜井から終身リーダーの称号を贈られた。

2007年、16年ぶりのソロアルバム『Kaleidoscope』が発売され、それに先立ち、「千年ロマンス」(作詞:綾小路翔)がシングルで発売された。また、コンサートツアーも行った。このツアーより、第2期ソロプロジェクトと呼ばれる。

2010年、それまでのソロ活動名義を本名から、自身の愛称でもあるTakamiy(タカミー)に改名。

ギタリストとしての高見沢を語る上で、特筆すべき点は独特のアーミングである。高見沢の場合、音程の上げ下げの幅が大きく速い独特の音色を多用する。また細かく速いアームヴィブラートも、ソロのエンディングなどで多用する。テレビ番組で共演している浅倉大介は取材で「ボクなりの解釈だと、ある意味シンセサイザーに近い。」「(高見沢さんは)ベーシックなプレイもされると思うけど、ソロになると、ギター本来の枠にとらわれないようなところがある。」と語っている。

彼のギターソロでは、以前は起承転結のはっきりと作曲されたメロディアスなソロが多かったが、1990年代後半以降は、アドリブでインプロヴァイズしたフレーズ、手癖的な運指での5連符や7連符など不規則なフレーズを用いることが多い。

引用元:高見沢俊彦 - Wikipedia




THE ALFEE - Wikipedia



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