4月11日は、シンガーソングライター・歌手・マルチプレイヤーの森高千里の誕生日です。
森高 千里(もりたか ちさと、1969年4月11日 - )は、歌手・シンガーソングライター・マルチプレイヤー。血液型はO型である。身長161cm。
1987年に歌手としてメジャー・デビューを果たした。その後、様々な楽器に触れながら表現手法を拡張し続け、現在ではライブ活動を中心に、雑誌連載や音楽番組のMCなど多様な分野で才能を発揮して活動している。所属事務所はアップフロントクリエイト。
実父はロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」で活動していた森高茂一、夫は俳優の江口洋介。
九州女学院在学中に「ル・パラディ」を結成してバンド活動を始める。ボーカルではなく、ドラムやベースギターを担当していた。1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。堀越高等学校に編入する。
1987年春、東宝映画『あいつに恋して』(同年5月30日公開)にヒロイン・松前千里役で出演、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー。当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っており、芸能界デビュー後初めてのレギュラー番組はTVハッカー。同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになる。
1988年、アルバム『ミーハー』のタイトルトラック「ミーハー」で初めて作詞を手掛け、斬新で個性的な歌詞が話題になる。同年夏、ツアーのリハーサル中に腹痛で1週間の入院生活を余儀なくされ、それを機に女優・タレント業との並行活動を断念し、歌手活動に専念することになった。この時期の入院体験をもとに「ザ・ストレス」を書き、歌詞のユニークさを注目されて以降、ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになる。また同作のPVで、森高千里の代名詞となる「コスプレ」が初登場。
1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒットし、一躍人気ミュージシャンとなる。『非実力派宣言』『古今東西』などの作品で、個性的な作詞のセンスが高く評価されるようになるが、その一方で、当時の時代を背景に超ミニのウェイトレス姿や総スパンコールの衣装などの派手なコスチュームを身に纏ってライブを行い、「17歳」では意図的にパンチラを見せ、男性ファンを獲得することになった。
1992年のアルバム『ROCK ALIVE』からのシングルカットとなる「私がオバさんになっても」のヒットで女性ファンの心を掴み、『ROCK ALIVE』ツアー(女性ミュージシャンとしては2組目となる全都道府県制覇ツアーを敢行した。森高はこのツアーの際に「ロックンロール県庁所在地」という曲を作り上げている。)では、コンサート会場で森高と同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られた。同年11月のアルバム『ペパーランド』からは大半の曲で自ら楽器演奏(ギター・ベース・ピアノ・ドラム等)をするようになり、それまでの打ち込み主体のサウンドから生音主体のサウンドへと路線の転換を図った。またコンサートでもこれらの楽器を演奏しながら歌っていた。
1993年のシングル「渡良瀬橋」「風に吹かれて」のヒットでその路線を確立するが、1994年、顎関節症のため予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間のコンサート休業を余儀なくされた。この間、ミュージックステーション上で病状をファンに報告して話題になった。ツアーが出来ない時期には子供番組『ポンキッキーズ』で「ロックン・オムレツ」を披露してファン層の拡大に努め、凝ったPVを制作したり、チャリティライブに参加するなど多彩な活動を行った。
1999年6月3日、1995年から交際を続けていた俳優の江口洋介と結婚。体調を崩したため病院で検査をしたところ、妊娠3週目であることが確認されたこともあり、これを機に結婚を決意した。2000年2月に長女、2002年5月に長男を出産。1999年末に産休に入って以後は育児を優先するため、表立った芸能活動は極力抑えた。休業期間中もCMや雑誌の連載などの活動は散発的に行っていた。
自身の楽曲で自ら楽器演奏を行っているが、1998年に発売された泉谷しげるのアルバム『私には夢がある』でドラマーとして参加する等、他のアーティストの作品に参加する事も少なくない。引用元:森高千里 - Wikipedia