10月16日は、声優・女優・タレントの大山のぶ代(おおやま のぶよ)の誕生日です。テレビ朝日放送の「ドラえもん」の初代ドラえもん声優として1979年から2005年まで約26年間にわたり担当したことで知られる。2024年9月29日に老衰のため死去。90歳没。
大山 のぶ代(おおやま のぶよ、1933年〈昭和8年〉10月16日 - 2024年〈令和6年〉9月29日)は、日本の女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。最終所属はアクターズ・セブン。テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当したことで知られる。
東京府東京市渋谷区伊達町(現在の東京都渋谷区恵比寿三丁目)出身。
1956年、NHKドラマ『この瞳』でデビュー。養成所時代から女優としての活動を始め、卒業後の1957年には劇団新人会に入団した。
1957年9月に放送した『名犬ラッシー』の吹き替え。その後、1960年に人形劇『ブーフーウー』のブー役を演じたのがきっかけになり、声の仕事が増えてくるようになった。
1965年、テレビアニメ『ハッスルパンチ』にて初主演。その後、『ハリスの旋風』や『無敵超人ザンボット3』など複数の作品で主演を務めた。
1979年、テレビアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)にて、主人公のドラえもんの声を担当。2005年までの約26年という長期間にわたり演じ続け、自他ともに認める代表作となった。また、タレント活動や料理研究家として本を出版するなど、声優業以外にも幅広い分野で活躍するようになった。
『ドラえもん』降板後は、講演やタレントとしてのテレビ・ラジオ出演を中心に活動。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動も続けた。
2010年、PSP用ゲームソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』にモノクマ役で出演。同シリーズでは以降もモノクマ役で出演し、2013年にテレビアニメ化された『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』は『ドラえもん』以来のテレビアニメへの出演であると同時に、初の深夜アニメ出演となった。
2012年秋、アルツハイマー型認知症との診断を受ける。
発表後も活動は継続した一方、公の場に姿を現すことはなくなり、仕事はメッセージの収録など限られたものになった。
砂川の没後も大山は引き続き老人ホームで過ごしており、後事を託されたマネージャーの小林が通って面倒を見ていた。
2024年に入ってからは老衰の影響から会話も難しくなり、発熱や貧血など体調不良が続き、入退院を繰り返していたという。同年9月19日が最後の入院となった。
最後の入院から10日後の2024年9月29日16時23分、老衰のため東京都の病院で死去。90歳没。マネージャーの小林は同日になって病院から危篤の連絡を受けたものの最期を看取ることはできなかったが、静かに息を引き取ったと話している。