2024年11月14日木曜日

東野英心 (東野孝彦)



11月14日は、俳優・声優の東野英心(とうの えいしん)の命日です。俳優の東野英治郎の長男。「ウルトラマンタロウ」の荒垣修平副隊長役や「あばれはっちゃく」シリーズの主人公の少年・桜間長太郎の父親役、「中学生日記」の東教諭役などでお馴染みの役者。2000年11月14日に高血圧性脳出血が原因で急死した。58歳没。

東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本の俳優・声優。

東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。

東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg。

旧芸名は東野孝彦。

高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。

1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。

1965年から1976年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後本名に戻す。

デビュー後、『ウルトラマンタロウ』で明るいキャラクターを活かして荒垣修平副隊長役を好演。

『花神』では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。

映画では実相寺昭雄作品に4回招かれており、特に『哥』では篠田三郎扮する弟をいじめ抜く陰険な次兄(長兄は岸田森が演じた)役で強い印象を残した。

1970年代末からは『あばれはっちゃく』シリーズに出演。主人公の少年・桜間長太郎の厳格な父親役を演じ、長太郎が何か問題を起こした際には制裁を加えて「この馬鹿野郎!!てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」と叱り飛ばす定番セリフが人気を得て、ドラマ内での名場面になっていた。

1980年代(1982年〜1989年)はNHKの『中学生日記』で、生徒に理解のある東教諭役を8年間に渡り演じている。

2000年11月13日の夜、都内のレストランでの会食中に突然倒れて荏原病院へ搬送される。高血圧が原因の高血圧性脳出血であった。病院に搬送された時は意識があったものの容態が悪化し、手当ての甲斐無く翌日14日午後4時22分に急逝。58歳没。

引用元:東野英心 - Wikipedia

















2024年11月13日水曜日

野村将希 (野村真樹)



11月13日は、俳優・歌手の野村将希(のむら まさき)の誕生日です。時代劇「水戸黄門」の柘植の飛猿(つげのとびざる)役が有名だが、紅白歌合戦出場経験もある歌手としての活動もしている。

野村 将希(のむら まさき、本名、野村 正樹(読み同じ)、1952年11月13日 - )は、日本の俳優、演歌歌手である。旧芸名、野村 真樹(読み同じ)。

所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。

1970年、RCAレコードと契約、同年4月に『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビジョン)の新人コーナーに出演し、『涙をかついで行こうよ』(デビュー曲『一度だけなら』のB面収録曲)を歌い注目を集めた。

1970年6月5日に『一度だけなら』をリリース、正式に男性アイドル歌手としてデビューを果たす。抜群の歌唱力と精悍なルックスから、デビュー当時のキャッチフレーズは「歌謡界の若獅子」とも言われた。同年『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』にスリーNの一人として映画初出演(残りの2人はにしきのあきら、夏夕介)を果たす。さらにデビュー曲「一度だけなら」はいきなり大ヒットと成り、第12回日本レコード大賞新人賞・第1回日本歌謡大賞放送音楽新人賞・第3回日本有線大賞新人賞などを総なめに受賞、同年末放映の第21回NHK紅白歌合戦には初出場をそれぞれ達成した。

その後修行のため2年間海外に渡り、帰国後の1982年、芸名を現在の野村将希に改名した。

その一方で役者としても才能を開花させ、1987年放送の『水戸黄門第17部』から柘植の飛猿役としてレギュラー入りし、当たり役となった。

私生活では2男の父で、長男はプロサッカー選手(アスルクラロ沼津・ゴールキーパー)の野村政孝、次男は俳優の野村祐希である。

少年時代より野球で鍛えた抜群の運動神経から芸能人スポーツ大会などでも活躍し、『スポーツマンNo.1決定戦』では2007年10月現在、芸能人大会19回中18回に出場しており、「コロッセオの鉄人」の異名を持つ(ただ腰痛を患っていた時期があり、その時に行われた数回は途中棄権してしまっている)。パワー系が得意で芸能人サバイバルバトルのパワー系の一通りの種目は制覇している。

引用元:野村将希 - Wikipedia




















由美かおると共に



2024年11月12日火曜日

矢端名結 (フリーアナウンサー・元 あかぎ団)



11月12日は、フリーアナウンサーの矢端名結(やばた みゆ)の誕生日です。群馬のローカルアイドル「あかぎ団」でエース級の活動、2017年4月愛媛朝日テレビに入社、2019年4月静岡放送に移籍。2021年11月12日、矢端の誕生日にラジオ番組の共演がきっかけでお笑いコンビ・アルコ&ピースの酒井健太との入籍を発表した。

矢端 名結(やばた みゆ、1993年11月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。群馬県安中市出身。太田プロダクション所属。

4歳から劇団東俳に所属し、子役としても活動。高校1年生の時にアメリカ留学を機に子役を引退する。帰国後は、群馬のローカルアイドル「あかぎ団」にも所属していた。

立教大学文学部卒業後、 2017年4月愛媛朝日テレビ(eat)にアナウンサーとして入社、2019年3月退職。同年4月静岡放送(SBS)へ移籍。

2021年10月29日、ラジオ番組『まだ帰りたくない大人たちへ チョコレートナナナナイト!』(以下『チョコナナ』)で共演するお笑いコンビ・アルコ&ピースの酒井健太と結婚することが『女性セブン』(小学館)で報じられた。同年11月2日放送の『チョコナナ』で酒井と矢端から現在婚約中である事を発表。同年11月12日、矢端の誕生日に自身と酒井のInstagramを通じて入籍した事を報告した。

2022年1月11日放送の『チョコナナ』で妊娠を発表。また同放送で2022年2月末をもって静岡放送(SBS)を退社する事も発表し、同年2月28日に退社した。『チョコナナ』には退社後もフリーアナウンサーとして2022年3月27日の最終回まで出演。

2022年5月28日に第一子の女の子が誕生した事を、酒井健太が『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』内にて報告。

2022年10月1日、自身のInstagramにて太田プロダクションに所属することを報告した。

2023年8月13日、自身のInstagramにて第2子妊娠を発表。

元あかぎ団の矢端吏結は実妹で、 父は日本競輪選手会群馬支部に所属していた元競輪選手の矢端誠二(55期)。英検2級。チョコレート検定のチョコレートエキスパート(中級)。

引用元:矢端名結 - Wikipedia






















あかぎ団 - Wikipedia



2024年11月11日月曜日

田中美佐子 (田中美佐)



11月11日は、女優の田中美佐子(たなか みさこ)の誕生日です。

田中 美佐子(たなか みさこ、1959年〈昭和34年〉11月11日 - )は、日本の女優。本名同じ。旧芸名は、田中美佐。島根県知夫郡(現:隠岐郡)西ノ島町出身。所属事務所は浅井企画→佐藤企画→ロートレック→ファザーズコーポレーション。

松徳女学院高等学校(現:松徳学院高等学校)卒業後、東洋女子短期大学英語英文科に入学。在学中に劇団ひまわりに入団し、卒業後の1981年、TBSの緑山私塾からドラマ『想い出づくり。』でデビューを果たす。

1982年、『ダイアモンドは傷つかない』で映画初出演(主演)し、第6回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。またこの時期にはキングレコードから歌手としてもデビューしている。その後、芸能活動を休止。

所属事務所の移籍先を1人で探した事もあり、その時相談に乗ったのが当時浅井企画で萩本欽一のチーフマネージャーだった佐藤宏榮である。佐藤の力添えで浅井企画へ移籍した後は女優業を再開し、確かな演技力で数々のドラマ、映画、舞台などへ出演。そして、佐藤が独立して佐藤企画を設立する際、田中も佐藤企画に移籍し、第一号タレントとなった。佐藤が独立後も業務提携の形で萩本のマネジメントをしている事もあり、田中の主演舞台の演出を萩本が何度も手掛けている。

1995年11月、元付き人で、お笑いコンビ・Take2として活動を始めたばかりの深沢邦之と結婚。

2002年12月、女児を出産。それ以降数年は育児優先のために休業していたが、2005年10月に連続ドラマ『ブラザー☆ビート』で女優復帰してからは精力的に活躍している。

2019年9月末をもって長年所属した佐藤企画を退社し、ロートレックに移籍。

2023年6月7日、深沢との離婚を発表。

引用元:田中美佐子 - Wikipedia

























2024年11月10日日曜日

畠田理恵



11月10日は、元歌手・女優の畠田理恵(はただ りえ)の誕生日です。1987年3月「ここだけの話 〜オフレコ〜」でアイドル歌手としてデビュー。女優としても活躍。1996年3月28日に将棋棋士の羽生善治と結婚し、芸能活動を引退した。

畠田 理恵(はただ りえ、1970年〈昭和45年〉11月10日 - )は、日本の元歌手、元女優。戸籍本名、羽生 理恵(はぶ りえ)。旧姓、畠田。「恵」の右上に「`」をつけた表記(本名で本来の表記)だった時期がある。

1985年10月26日、オーディション「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に応募しMomoco賞を受賞。

1986年4月29日、大阪福島女子高等学校(現好文学園女子高等学校)在学中に、学習研究社(現学研ホールディングス)発行の月刊雑誌『Momoco』主催のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションで「ミスMomoco」グランプリを受賞(桃組出席番号1404番)。ビッグアップルにスカウトされ、芸能界入りのため同校を中退して上京。『Momoco』(学習研究社)グラビアや、TBSテレビの『モモコクラブ』にレギュラー出演する。

1987年3月3日、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)のリプリーズレーベルより「ここだけの話 〜オフレコ〜」でアイドル歌手としてもデビュー。当時未成年ながらも大胆な歌詞を歌いこなし話題になった。

1988年、1年目の中森明菜路線から菊池桃子の路線へと変更したシングル「Kissよりつねって」を発売。また、同年、秋に発売されたシングル「ソノ気にさせて」は当初同じ系列事務所、渡辺美奈代がシングルとして発売する予定の曲だった。その後歌手中心の活動から女優メインの活動へ転向してゆく。

1990年 - 91年に放送されたNHKの連続テレビ小説『京、ふたり』で、ダブルヒロイン(主人公)の一人(もう一人は山本陽子)として漬物屋の若女将役を務める。また、この時期デビュー当時から所属していた事務所ビッグアップルを辞め、アップフロントエージェンシー(旧法人、現アップフロントプロモーション)に移籍し、更に1992年にレコード会社をポリスターに移籍し、“Rie”としてシングル「ミ・ディオス 〜RAILA〜」で再活動した。また、数多くのドラマに出演した。

1996年3月28日、将棋棋士の羽生善治と結婚し、芸能活動を引退。

1997年にはNHKの連続テレビ小説『ふたりっ子』に夫婦揃って特別ゲスト出演した。

2016年頃よりTwitterアカウントで情報を発信している。アヒルやウサギ等の動物に関連した話題や画像のツイートが数多いが、夫の羽生善治や将棋関連の話題もツイートすることがある。

引用元:畠田理恵 - Wikipedia

























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