11月8日は、アメリカの俳優・歌手のレイフ・ギャレット(Leif Garrett)の誕生日です。1970年代後半から1980年代初頭にかけて世界的にアイドルとして人気を博した。
レイフ・ギャレット(Leif Garrett, 1961年11月8日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ハリウッド出身の俳優、歌手。1970年代後半から1980年代初頭にかけて世界的にアイドルとして人気を博した。
5歳から妹のドーン・リン(1963年 - )とともに子役として活動を開始した。主人公の息子役で出演した『ウォーキング・トール』(1973年)で注目されるが、アイドルとなるきっかけは1975年のCBSのテレビドラマシリーズ『Three for the Road』で主人公の息子役を演じたことで、視聴率の低い番組ではあったものの、少女たちからギャレット宛にファンレターが殺到。この人気に音楽業界が注目し、男性アイドル歌手として当時人気絶頂だったショーン・キャシディのプロデューサーだったマイケル・ロイドと契約し、アトランティック・レコードからレコード・デビューした。
3枚目のシングル「Surfin' U.S.A. 」がBillboard Hot 100で20位、オーストラリアで2位、西ドイツで6位、スイスで4位のヒットとなったことを皮切りにコンスタントにBillboard Hot 100入りを果たすようになった。とりわけ西ヨーロッパとオーストラリアで人気が沸騰し、西ドイツでは芸能雑誌が1978年に一番活躍した歌手に贈る賞の金賞を受賞した。1978年11月発売の「I Was Made for Dancin’」(邦題:「ダンスに夢中」)はBillboard Hot 100で10位、オーストラリアで2位、イギリスで4位、日本のオリコンでは総合チャートで最高位12位を記録した。日本ではギャレットが出演したナビスコ・アイダホポテトスティックのCMに使用されたことから大ヒットし、1979年のオリコン年間チャートで31位、35万7千枚の売り上げを記録した。オリコン洋楽シングルチャートでは1979年4月2日付から通算14週1位を獲得、1979年の年間チャート洋楽部門にて1位を記録した。同時期に発売したアルバム「Feel The Need」からシングルカットされたタイトル曲のB面曲「NEW YORK CITY NIGHTS」は後に田原俊彦によってデビュー曲「哀愁でいと」としてカバーされ、田原バージョンの大ヒットを受け、AB面を逆にして再びプロモーションされオリコンで最高76位を記録した。
1979年4月3日には自身の冠ショー『Leif』がCBSで放映され、ブルック・シールズやマイケル・ロイド・プロデュースでアメリカ進出を遂げたばかりのピンク・レディーがゲスト出演した。その模様は日本でも日本テレビの『NTVザ・ヒット! ピンク百発百中』で放送された。しかし世界的にアイドルとして人気絶頂の1979年11月3日に麻薬吸引と飲酒が原因で起こした交通事故がきっかけで人気は下降。更に本人があからさまにティーン・アイドルのイメージを嫌い始めフィアンセのニコレット・シェリダンとのセミヌード写真を公開したことなども相まって、都倉俊一とジョン・ダンドレアの共同プロデュースによる1981年のアルバム「My Movie Of You」を最後にアトランティック・レコードからのレコードのリリースはなくなった。俳優業に戻ったが、『アウトサイダー』、『The Spirit of '76』(日本未公開)以外では役や作品の質に恵まれなかった。