11月29日は、フリーアナウンサー・司会者の小川宏(おがわ ひろし)の命日です。NHKを退社後、フジテレビと専属契約、「小川宏ショー」で一世を風靡した。後にフリーアナウンサーとして活動。2016年11月29日、多臓器不全により90歳で亡くなった。
小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー。東京都墨田区出身。
NHKには二次募集で1949年に入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。
1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。同番組における圧倒的な知名度を背景に1965年1月にNHKを退職。
退職後、フジテレビと専属契約を結び、1965年より『小川宏ショー』の総合司会を通算17年務め、4451回という金字塔を打ち立て、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載された(後に『森田一義アワー 笑っていいとも!』総合司会のタモリがこの記録を塗り替えている)。
穏やかな雰囲気や話術は主婦層にも長く支持され、この点から「春の小川」なる異名を取るようになった(黒柳徹子の発言に端を発するとされる)。同番組には朝の生放送番組であるにもかかわらず、上記の黒柳をはじめ、杉村春子、高峰三枝子、石原裕次郎、長嶋茂雄、前田武彦、永六輔などの大物ゲストが多数出演しており、これも小川の司会ぶりに対する信頼の高さを裏付けるものとなった。
『小川宏ショー』終了後、うつ病を発症し自ら克服、その体験談を出版し、後にその経験を元に講演活動を行うなど活躍している。
NHK時代には先輩アナウンサーからは「小川ちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。
また、NHKの7年先輩で、日本のフリーアナウンサーの先駆的な存在である高橋圭三からは「顕微鏡で調べて望遠鏡で放送しろ」とアドバイスされたという。
2016年11月29日、東京都内の病院で多臓器不全により90歳で逝去。引用元:小川宏 - Wikipedia
小川宏ショー - Wikipedia