2021年9月1日水曜日

渡部陽一



9月1日は、カメラマン・フォトジャーナリストの渡部陽一の誕生日です。所謂「戦場カメラマン」としてよく知られる。

渡部 陽一(わたなべ よういち、1972年9月1日 - )は、日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。初代・富士市観光親善大使。所属事務所はBe.Brave Group。

静岡県立富士高等学校を経て、「バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入った。大学の一般教養課程の生物学の授業でアフリカの狩猟民族に興味を持ち、全く現地の知識もないまま旅行者としてピグミー族に会いに行くため、アフリカのコンゴ民主共和国に行った。しかし当時はルワンダ紛争のまっただ中だったため、ルワンダの少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで助かった。帰国後周囲の人間に、その被害と少年兵がいる現実を説明したが、理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し、「戦場カメラマン」となることを決意した。大学1年生のときから戦場へ取材に行っており、その影響で大学を2回留年したあと、試験の時のみ一時的に帰国して同大学を卒業。当時は飲食店や写真撮影のアルバイトで貯めた資金で取材をしていた。

初の撮影写真が記載された雑誌は『サンデー毎日』である。時に「サムライジャーナリスト」を名乗る。

過去には、平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をしており、ルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材している。EMBED(従軍記者)として紛争地域に赴く。雑誌、テレビ番組などで作品を配信しているほか、ラジオ番組でも現地から直接リポートをしている。

本人はテレビに出演するのも全て、戦場カメラマンとして活動するためだという。自分に関心を持ってもらい、撮影した写真をたくさんの人に見てもらいたい。戦争の悲惨さ・命の大切さをたくさんの人に知ってもらいたい。そして、長期間、海外に滞在して仕事をするので、その活動費を稼ぐため。戦場カメラマンとしての収入は不安定なものなので、バナナの積み込みなどをして、活動費を補ったりしてきた。

戦場取材の資金稼ぎのため、テレビに出まくった2010年を「挑戦の年でした。普段はカメラマンですが、逆に撮られる側の恐怖感にも、気づくことができました」と振り返る。来年は「しっかり、状況を見据えながら、柔軟に、フットワークよく、世界中を、跳び回っていこうと思っています」と語った。

引用元:渡部陽一 - Wikipedia





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