2024年9月16日月曜日

内野聖陽



9月16日は、俳優の内野聖陽(うちの せいよう)の誕生日です。2013年7月までは本名読みの「内野聖陽(うちの まさあき)」が使われていた。

内野 聖陽(うちの せいよう、1968年〈昭和43年〉9月16日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市出身。血液型はAB型。本名読みは「うちの まさあき」で、2013年7月までは芸名としても使われていた。

大学在学中での初めての演劇は英語劇でプレイボーイな役を演じたが、これで一時期演じることが嫌になり裏方にまわっていた。1992年、在学中に文学座研究所に入所。同期に寺島しのぶがいる。翌年に研修科1年となり、研修中はドラマの端役などで修行を積む。実家の寺を継がないことで家族の反対にあったが俳優になる道を歩んだ。

1996年には『ふたりっ子』、1997年では『ミセスシンデレラ』に出演し、文学座の座員にもなる。

演劇では文学座だけでなく、他が主宰する演劇にも出演。ストレートプレイだけでなく、2000年に『エリザベート』で初めてミュージカル出演。2003年、『蝉しぐれ』で牧文四郎を演じ、放送文化基金出演者賞とモンテカルロ・テレビ祭の主演男優賞を受賞。2004年、『エースをねらえ!』に宗方仁役で出演。2007年、『風林火山』では主役の山本勘助を演じる。

私生活では『エリザベート』で知り合い交際を続けていた一路真輝と2006年5月に婚約を発表。7月末に結婚し、10月末に女児が誕生。結婚した時点で『風林火山』の撮影に入っており、披露宴は『風林火山』の撮影が終了した2007年10月25日に行う。2011年8月18日に、別居後、離婚届を提出したと連名のFAXにて発表した。娘の親権は一路が持つ。

2011年末、デビュー以来約20年間在籍していた文学座を退団し個人事務所設立及びスターダストプロモーションとの業務提携を発表し、2012年1月31日に退団する。

2013年7月、生誕45周年を機に芸名の読み方を使用する漢字はそのままでデビューから長年続いた本名の「うちの まさあき」から「うちの せいよう」に変更することを発表した。理由は「『まさあき』と読めない人が多かったから」だという。

2019年6月、舞台『化粧二題』(鵜山仁 演出)で、主役・市川辰三を演じた。同舞台は、内野にとって、俳優人生初となる一人芝居で、「自分の人生や魂に問いかけながら、辰三の心の揺らぎを、内野聖陽の内なるものから嘘なく表せたら」と述べ、令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。2年後、同じキャストで再演する。

2021年11月、令和3年秋の褒章で紫綬褒章を受章。

引用元:内野聖陽 - Wikipedia



















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