7月25日は、俳優の平田昭彦(ひらた あきひこ)の命日です。特撮分野の名優としても知られる。1984年7月25日没。56歳。
平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月16日 - 1984年〈昭和59年〉7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。
主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた。
夫人は女優の久我美子。実兄に映画監督の小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。
平田自身は、代表作を「なし」と語っていた。
『ゴジラ』などで共演した宝田明は東宝ニューフェイスの1期後輩(6期生)であったが、酒やタバコを嗜まなかった平田を宝田が夜遊びに誘い、平田は6期生と遊ぶことが多くなったという。
同じ東宝出身の佐原健二とは、『空の大怪獣 ラドン』のロケで打ち解けて以来、平田が亡くなるまで親友関係にあった。佐原は、平田について気持ちが優しく人間としてとても立派であったと評しており、他人の噂話などはしなかったと証言している。また、佐原によると、平田は「ボクが『ウルトラQ』で君(佐原)が演じた万城目を演じたかったんだよなぁ」と語っていたという。佐原が悩みを相談したとき、平田は東大卒らしく理論的に話を整理して諭してくれたと述懐している。
ゴジラについては、怖さが魅力であったといい、後年のアイドルになったゴジラはつまらないと語っている。ゴジラ以外で印象に残っている作品として『空の大怪獣 ラドン』を挙げており、『さよならジュピター』のような近未来的なSFよりも怪獣ものの方を好んでいた。
シャンソンを得意としており、佐原は本多猪四郎の家で平田が度々歌っていたことを証言している。
妻の久我美子とはおしどり夫婦として知られた。久我とは1960年に時代劇大作『大坂城物語』で共演したのが縁で交際が始まった。撮影中は毎朝ロケ地の宿泊先前の喫茶店でデートを重ねたが、スタッフや共演者たちは誰も冷やかさず、週刊誌などにもゴシップとして漏らさなかったのは、平田の日頃からの人柄の良さゆえのことであった。同作品が1961年の正月映画として公開された同年秋に帝国ホテルで結婚式を挙げた。仲人は稲垣浩。
1984年7月25日午前11時15分、癌性リンパ管症で死去。56歳没。引用元:平田昭彦 - Wikipedia