4月4日は、女優・タレントのあき竹城(あき たけじょう)の誕生日です。名バイプレーヤーとして知られる。2020年に大腸がんを患い、2022年12月15日に東京都内の病院で死去した。75歳没。
あき 竹城(あき たけじょう、本名:竹田 明子〈たけだ あきこ〉、1947年〈昭和22年〉4月4日 - 2022年〈令和4年〉12月15日)は、日本の女優、タレント。山形県米沢市出身。身長167cm、米沢市観光親善大使。所属はオフィスあきこ。
宝塚歌劇団に憧れて育ち、小学4年生または中学生からモダンダンス教室で踊りを学ぶ。米沢の女子高へと進みそこでもダンス部に所属していたが、大阪のキャバレーでフロアダンサーをしていた姉を頼りに女子高を中退して大阪へ渡った。そこでダンサーとしてデビューし、全国各地を巡って踊った。
フロアダンサーやヌードダンサーなどの下積みを経て、1974年に日劇ミュージックホールに進出し舞台を踏んだ。そこではコントにも出演し、山形弁を披露した。あきの山形弁は注目を浴び、それを持ち味にしたコメディエンヌと認知され、1976年には東京12チャンネルのバラエティ番組『独占!男の時間』へ出演し、テレビ初出演も果たすようになった。
同1976年からは映画の出演も開始し『ピラニア軍団 ダボシャツの天』などに助演、1977年には東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に出演した。同作では追跡中にトラックの排気ガスで顔半分が黒くなった上、上着を剥ぎ取られる婦人警官役で、トップレス姿を披露した。のちに今村昌平監督に抜擢され、1983年の『楢山節考』に緒形拳の後妻役で出演したことで女優としても地位を確立した。当初は1978年の『喜劇役者たち 九八とゲイブル』のストリッパー役などのヌードを要望される役が多かったが、その演技力を認められてからは、性格俳優として『野々村病院物語』(1981年・TBSテレビ)、『夜叉』(1985年・グループ・エンカウンター製作映画)、『マルタイの女』(1997年・東宝配給映画)などに出演、NHKでは『徳川家康』(1983年)、『青春家族』(1989年)、『八代将軍吉宗』(1995年)、『私の青空』(2000年)、『どんど晴れ』(2007年)、『天地人』(2009年)などの大河ドラマや連続テレビ小説に出演しコミカルからシリアスな役までこなす硬軟自在の名枠役として支持を得た。
1990年代後半からは女優業という枠を超え、ユニークなトークを「山形弁丸出しで」話す、明るいオバサンとして独自のキャラクターを生かしてバラエティ番組で活躍した。
2020年頃に大腸がんを患い、「元気なあき竹城でごあいさつしたい」と本人の希望もあり公表せず、レギュラー番組を降板し闘病していたが、2022年秋頃に病状が悪化する。2022年12月15日、東京都内の病院で死去した。75歳没。訃報は同月20日に公表された。引用元:あき竹城 - Wikipedia