7月16日は、ハードロック界のオルガニストの第一人者として知られる、キーボーディストのジョン・ロードの命日です。2012年7月16日没。71歳。
ジョン・ロード(英語: Jonathan „Jon” Douglas Lord、1941年6月9日 - 2012年7月16日)はイングランド出身のハモンドオルガニスト、ピアニスト、作曲家。
1964年にアート・ウッド率いる本格的なR&Bバンドのジ・アートウッズ(The Artwoods)に加入。1967年に脱退してサンタ・バーバラ・マシン・ヘッド(Santa Barbara Machine Head)を結成。彼等はオムニバス・アルバムのために3曲のインストゥルメンタルを録音するが、同年早くも解散。
次にヴォーカル・グループのザ・フラワー・ポット・メンのバック・バンドに参加。1967年12月にリッチー・ブラックモアと出会い、ラウンドアバウト結成を経て1968年にディープ・パープルを結成した。1976年のバンド解散までキーボーディストを務め、長年に渡って実質的なリーダーとしてメンバーをまとめ上げた。当時の代表曲には「ハイウェイ・スター」(1972)「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(1973)「ウーマン・フロム・トーキョー」(1973)「紫の炎」(1974)などがある。
1977年、トニー・アシュトン、イアン・ペイス、バーニー・マースデン、ポール・マルチネスとペイス・アシュトン・ロードを結成。1978年にはデイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクに参加。
1984年、ディープ・パープルの再結成に参加。再び実質的なリーダーを務めた。ツアーの疲労が蓄積してきた2001年に膝を痛めたので、翌2002年に引退するような形でバンドを脱退。その後、膝の状態は手術を経ずに回復し、本人はソロ活動に転じた。
2004年、元ABBAのアンニ=フリッド・リングスタッドと「The Sun Will Shine Again」を制作して、アルバム『Beyond the Notes』に収録。2009年4月15日、東京国際フォーラムでのディープ・パープルのコンサートにサプライズゲストとして参加。
2011年、膵臓癌と闘病中であることを公表。英国とイスラエルで治療を受けたが、2012年7月16日、肺塞栓症のためにロンドンのクリニックで死去。71歳没。