11月19日は、ミュージシャンで俳優のジョニー大倉の命日です。ロックバンド「キャロル」のギタリストとして名を馳せた後ソロ歌手や俳優として活動。2014年11月19日没。62歳。
ジョニー 大倉(ジョニー おおくら、1952年9月3日 - 2014年11月19日)は、ミュージシャン・俳優。本名:大倉 洋一、韓国名:朴 雲煥(박운환 / パク・ウナン)。神奈川県川崎市出身。在日韓国人2世。血液型AB型。左利きであるが、ギター演奏は右へ矯正していた。身長172cm、体重67kg(1982年)。
1972年に矢沢永吉らとキャロルを結成し、当初は内田裕也へプロデュースの依頼を検討したものの、結局はミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。はっぴいえんど等が日本語をロックの音楽にのせるために奮闘していた時代に、堂々と日本語と英語をミックスした曲を作詞した草創期の人物である。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日韓国人二世であることをカミングアウト。
同年にキャロルを解散した後は、ソロでの音楽活動を始めるとともに俳優業にも手を広げる。1975年に本名の朴雲煥で、在日韓国人をテーマにした『異邦人の河』に主演。1981年に映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど一定の評価を受けた。1980年代からは個性派の俳優としてヤクザ映画のオリジナルビデオ作品などに出演している。
2004年には自叙伝『キャロル夜明け前』を出版し、矢沢永吉との葛藤が話題を呼んだ。この時のレポーターのインタビューで「矢沢永吉の……栄光の全ては認めます……。ただし……キャロルに関しては、いちもつ言いたい事がございます」と話を切り出しジョニーなりの美学を見せた。
2013年6月に肺癌と診断されて余命2週間を宣告された後、抗癌剤治療を経て2014年3月に退院。同年8月に再発し、再入院して治療を続けていたが、2014年11月19日、東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センターで肺炎により死去。62歳没。