11月29日は、女優の赤木春恵(あかぎ はるえ)の命日です。1940年に松竹にニューフェイスとして入社し映画「二本松少年隊」でデビュー。1979年から「3年B組金八先生」で女性校長の君塚美弥子役でレギュラー出演し当たり役を得る。橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品への出演し「渡る世間は鬼ばかり」などの出演でもお馴染み。2018年11月29日、心不全のため死去。94歳没。
赤木 春恵(あかぎ はるえ、1924年〈大正13年〉3月14日 - 2018年〈平成30年〉11月29日)は、日本の女優。本名、小田 章子(おだ あやこ)。
旧芸名、赤木 春生(あかぎ はるみ)。身長152cm、血液型はB型。
自身の個人事務所でもあったオフィスのいりに所属。
日本喜劇人協会相談役。満州長春県(現・中華人民共和国吉林省長春市)出身。東京都府中市に居住していた。
父は南満州鉄道の産婦人科医だったが、赤木が3歳の時に死去した。
1933年に帰国して京都に住み、女学校卒業後の1940年に松竹にニューフェイスとして入社し、同年に映画『二本松少年隊』でデビュー。この時の芸名は赤木春生(あかぎ はるみ)だった(名付け親は映画監督の伊藤大輔)。同年、慰問団(戦地の兵士たちを慰問するための演芸派遣団)のトラックの上で、“心の友”としてその後長い親交を結んだ森光子と出会う。
1943年、大映へ移籍、1945年、松竹で助監督をしていた兄が設立した慰問劇団に参加するため大映を退社し、満州各地を巡業した。
大映へ復帰した際、片岡千恵蔵から「春生では男か女か分からないから、春恵にしたらどうか」と勧められ、芸名を改める。
1947年、東映のプロデューサーであった栄井賢(本名;小田 賢五郎)と結婚し、一女を儲け、1948年、東映に移籍(これ以降、大作や小品の別なく年相応の脇役を長く務めた)。
1959年、森繁久彌主催の森繁劇団に参加するためにフリーとなる。
1974年、『四季の家』で橋田壽賀子脚本の作品に初出演。以降、橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品への出演が増加。
1979年からは『3年B組金八先生』にて当時としては珍しかった女性校長の君塚美弥子役でレギュラー出演し、当たり役を得る(レギュラー降板後もゲスト出演しており、教育関係者から講演も頼まれたほどだった)。
1990年からは『渡る世間は鬼ばかり』がスタートし、角野卓造演じる勇の母親であるキミ役で出演し、泉ピン子が演じる嫁をイビり、何かに付けて文句を言ったり難癖を付ける憎まれ役が評判を呼び、再び当たり役となった。
2013年には『ペコロスの母に会いに行く』に主演し、88歳にして映画初主演を果たす。
最晩年には骨折のほかパーキンソン病により療養生活を送っていたが、2018年11月29日午前5時7分に心不全のため東京都府中市内の病院で死去した。94歳没。引用元:赤木春恵 - Wikipedia










