11月30日は、スコットランド出身の打楽器奏者(パーカッショニスト)・画家であるジェイミー・ミューア(Jamie Muir)の誕生日です。1972年にプログレッシブロックバンド「キング・クリムゾン」に参加、1973年の「太陽と戦慄(Larks' Tongues in Aspic)」の制作とライヴ活動ののち仏教修行のため脱退してしまう。音楽活動は続けていて映画音楽など制作したが1980年代末には画家に転身した。2025年2月17日、英国のコーンウォールにて死去。82歳没。
ジェイミー・ミューア(Jamie Muir、1942年11月30日 - 2025年2月17日)は、スコットランド出身の打楽器奏者、画家。1973年に比丘となった。
1965年、エジンバラ芸術大学でエジンバラ・フェスティバルが開催され、彼はロンドンから出演したミュージシャンのバックで演奏した。バーニー・グリーンの演奏で客演ギタリストのデレク・ベイリーと共演。ベイリーからロンドンへ出てくるように勧められ、一週間にわたり振付師・舞踏家リンゼイ・ケンプの公演にベイリー、エヴァン・パーカーらと参加。またピート・ブラウン&ピブロクトに加入してパーカッションとドラムスを担当、フリーなバンド演奏スタイルで1968年7月まで在籍。
1968年、ベイリー、パーカー、ヒュー・デイヴィスとザ・ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー(The Music Improvisation Company)を結成し、1970年8月に発表された同名デビューアルバムの制作に携わった。1969年7月には、ローリング・ストーンズがロンドンのハイド・パークで開催したフリー・コンサートの観客の1人として、コンサートに出演したデビュー直後のキング・クリムゾンを目撃した。ピート・ブラウン・バタード・オーナメンツ(Pete Brown's Battered Ornaments)のエジンバラ・フェスティバルでの演奏にも参加。元コロシアムのジム・ローチェ(ギター)、ドン・ウェラー(サクソフォーン)、ジェイミー・ピータース(ベース)が結成したボリス(Boris)に誘われ、過激で暴力的なパフォーマンスを披露した。1971年、ザ・ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーを離れ、ヘヴィ・アフリカン・エンヴェロープを率いてコンサート活動を開始した。
1972年、当時関わっていたアサガイで知り合ったアラン・ゴーウェンらとサンシップ(Sunship)を結成。同年4月、キング・クリムゾンのロバート・フリップから連絡を受け、ジャム・セッションの後にキング・クリムゾンへ加入。ライブ活動の後にアルバム『太陽と戦慄』(1973年)の制作に参加した。しかしインドの宗教家パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読んで深い影響を受け、キング・クリムゾンの管理会社であるE.G.マネージメントに脱退を申し入れた。
その後、1980年頃までスコットランド、フランス、インドなどで仏教修行に入った。帰国後、友人から誘われて音楽活動を再開し、ベイリー、パーカーといくつかの作品を残している。1983年にはデヴィッド・カニンガムの呼びかけでマイケル・ジャイルズらと共に、ケン・マクマラン監督の映画『Ghost Dance』のサウンドトラックを制作した。この作品のCDは1995年に発売された。
1980年代前半にはベイリーとの共作アルバムやベイリーが結成したカンパニーのアルバムのジャケットのアートを手掛けた。1980年代末にはシーケンサーや一部楽器以外の機材を渡米のために売り払ってしまい、この頃、画家に転身した。
2025年2月17日、英国のコーンウォールにて死去。82歳没。






