2025年10月1日水曜日

うつみ宮土理 (うつみみどり)



10月1日は、タレント・女優のうつみ宮土理(うつみ みどり)の誕生日です。「ロンパールーム」や「シャボン玉こんにちは」などの司会業や女優として活躍。俳優の愛川欽也(2015年4月没)の奥方としても有名。現在も女優業やタレントとしての活動をしている。愛称はケロンパ。

うつみ 宮土理(うつみ みどり、1942年〈昭和17年〉10月1日 - )は、日本のタレント、女優、作家。本名、井川 三重子(いかわ みえこ)。旧姓、内海。旧芸名は、うつみ みどり(読み同じ)。株式会社愛川企画室所属。

愛称はケロンパ。

東京都世田谷区出身。世田谷区立弦巻小学校、実践女子学園中学校・高等学校を経て、1965年に実践女子大学文学部英文学科を首席で卒業。朝日新聞社の入社試験を通過し、英字雑誌「ディス・イズ・ジャパン」編集部に勤務する。

1966年、取材のために面接会場を訪れたことがきっかけで、日本テレビ系列で放送されていた子供向け番組『ロンパールーム』の2代目お姉さんとしてタレントデビュー。「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな」というフレーズなどで視聴者に強烈な印象を残し、3代目以降のお姉さんの芸名もすべて「みどり」と名付けられたほどだった。

その後、テレビの情報番組やバラエティ番組に進出し、女優としてもテレビドラマに多数出演する。『おくさまは18歳』の劇中でうつみ演ずる花咲ユメ子が発した「悔しいわ、悔しいわ、なんだかとっても悔しいわ」という台詞は流行語にもなった。また、『紐育マサオ』などの小説や『うつみ宮土理のカチンカチン体操』などのハウツー本を執筆するなど、文筆家としても活動している。

1974年、「うつみみどり」から「うつみ宮土理」に改名。一番変わった字にしようと思い、自ら「宮土理」という字を選んだという。

1978年、当時『シャボン玉こんにちは』のコンビ司会をしていた愛川欽也と結婚。

2014年に愛川が末期の肺がんと診断された際、愛川の意志を尊重し、病気の事実を徹底して伏せ続けた。重篤期になってからは、自宅療養の体制で愛川をつきっきりで看病した。2015年4月15日午前5時11分に愛川が亡くなると、ショックの大きさから芸能活動を休止する。さらに同年7月、所属事務所のプロデューサーを務めていた義妹(弟の妻)が交通事故死した。悲しみの連続から活動再開は白紙となったものの、2016年8月より仕事に復帰している。

引用元:うつみ宮土理 - Wikipedia

























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