5月9日は、女優・歌手の可愛かずみ(かわい かずみ)の命日です。1982年、日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」で女優デビュー、ロマンポルノ路線はこの一作のみで以降は女優や歌手として活動するが、1997年5月9日にマンションから飛び降り自殺をしてしまう。32歳没。
可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は、日本の女優。本名、久我 知子(くが ともこ)。
東京都杉並区高円寺出身。
芸能界にあまり興味はなく、元々は美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受けてモデルクラブに登録。日活の宣伝用ポスターの仕事が舞い込み、引き受けるが、可愛は、脱がないといけない仕事だと知らなかった。「話が違う」と一旦は断ろうとするが、日活の担当者が怒られているのを見て同情してしまい、最終的に引き受ける。この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年、日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護・脚本:ガイラ)で女優デビューした。日活ロマンポルノの主演の話がきたとき、いったん「考えさせてほしい」と告げた。モデル事務所から「次のステップに繋がる」という勧めもあり、きわどいラブシーンをしないという条件で、承諾した。「可愛かずみ」の芸名は、渡辺監督によって命名された。ロマンポルノ映画出演はこの1作のみだったが、キュートな顔立ちと抜群のスタイルで注目を浴びる。テレビドラマは、1983年のテレビ東京のドラマがデビュー作になっている。
続いて、映画『Blow The Night 夜をぶっとばせ』、シブがき隊主演の『ヘッドフォン・ララバイ』に出演し、その後すぐにグラビアアイドルとして人気を博す。
以降はテレビのバラエティーやドラマで活躍をする。
歌の方では「春感ムスメ」でシングルデビューをし、その後「天使のデザート」「メディテーション」のアルバムもリリース。
バラエティ番組に多数出演しており、1983年頃『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」のコーナーで中森明菜のものまねをしていた。また歌番組のアシスタントやバラエティー番組での活躍も増え、タレントとしての地歩を確立していった。
1995年、当時ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎投手との交際が判明する。川崎は学生時代から可愛の熱烈なファンで、6歳の年の差はあったが交際は順調であった。当時、川崎はマスコミに対しても交際宣言をしている。だが、川崎の故障から二人の関係に擦れ違いが生じ、破局。後日、破局の理由を「(川崎が)治療に専念するため」と述べた。
1997年5月9日午後6時30分頃、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃に川崎が住んでいたマンションの7階から身を投げた。午後7時14分頃に「マンションの前に人が倒れている」と119番通報があり、救急車が到着した時には既に心肺停止状態であった。その後、新宿の東京医科大学病院に搬送されるが午後7時59分に死亡が確認された。32歳没。自宅を出た時間から真っ直ぐ自殺現場に向かったものと推察された。当初は事故面でも調査がされたがすぐに自殺と断定された。