5月27日は、漫画家の長谷川町子(はせがわ まちこ)の命日です。「サザエさん」や「いじわるばあさん」などアニメ化やドラマ化され国民的人気となった代表作がある。1992年5月27日、死去。享年73(満72歳没)。
長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家。代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。
「(原作者の)田河水泡の弟子になりたい」という町子の独り言に姉と母は奔走、山脇高女在学中に田河水泡に師事する。その後、田河の引き立てにより『少女倶楽部』1935年10月号に掲載された見開き2ページの『狸の面』で漫画家デビューする。「天才少女」と題したグラビアも同時に掲載された。田河夫妻に子供がなかったことから、内弟子として田河家で生活するが、ホームシックになり11カ月で出戻る。
1939年に初連載作品となった『ヒィフゥみよチャン』で漫画家としての地位を確立。1940年からは、3人の女学生を描いた『仲よし手帖』という人気連載を持っていた(1942年まで少女倶楽部に連載、戦後は少女にて1949年から1951年まで連載)。
1946年(昭和21年)4月22日、西日本新聞の僚紙としてフクニチ新聞社から創刊された「夕刊フクニチ」で連載漫画の依頼が舞い込み引き受けた。自宅の近所である百道海岸付近を妹と散歩をして海辺の風景を眺めているときに登場人物に海にちなんだ名前をつけて『サザエさん』の家族構成や名前を思いついた。磯野家の日常を描いた『サザエさん』は、彼女のファッションも話題となり、人気を博した。当初、本人は「アルバイト感覚で引き受けた」と語っている。
1948年11月21日より『サザエさん』の連載先を新夕刊に移すと、磯野家も東京を舞台として描くようになる。
「ヒューマニズムに飽きていた」町子は、1966年からブラックユーモア路線の『いじわるばあさん』の連載を開始する。善良なキャラクターの作品と違い、『いじわるばあさん』は自分の地のままでいいから気楽に描けるという。主人公のおばあさんは、町子自身の性格をモデルにしたとの説もある。
1974年2月22日付で『サザエさん』を3年間の休載とするが、その後再開される事は無かった。
1978年、『サザエさんうちあけ話』を朝日新聞日曜版に連載。翌1979年には単行本として姉妹社から出版されるとともに、これを原作とし、姉毬子を主役としてNHKの朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』が放送された。姉を熊谷真美、町子を田中裕子が演じて、田中が注目されるきっかけとなった。
1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章受章。このときのインタビューで新作発表の質問に対し「もう漫画は描かない」と答えている。それでもエッセイ風の漫画をときおり発表することもあり1987年(昭和62年)3月22日の朝日新聞に掲載された『サザエさん旅あるき』が最後の作品となった。
1992年(平成4年)5月27日、死去。享年73(満72歳没)。当時の報道では「自宅の高窓を閉めようとして机から落ち全身を打撲、打撲の痛みで体調を崩し、通院治療を受けていた。徐々にろれつが回らなくなり、食欲がなくなるなど衰弱した末、死去の前日にはほとんど食事をとらず、翌朝までに息を引き取っていた」という。『長谷川町子思い出記念館』の年表によれば死因は冠動脈硬化症による心不全。
訃報は1カ月後の6月末に朝日新聞社とフジテレビの両社から公表された。