11月8日は、歌手の島倉千代子の命日です。2013年11月8日没。75歳。
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。
1949年3月、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植(レコード会社の社員によるミスとされている)により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった。
1955年3月(16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる(後にテレビドラマでカバーされ、1977年に同名の映画の2作目で再度カバーされる)。1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表。
1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)。
1958年(20歳)、港区高輪(北品川の隣町)に一戸建てを購入。同年には『からたち日記』が130万枚のヒットとなった。
1968年(30歳)、「泣き節」を売り物としていた彼女にとり異色の作品である『愛のさざなみ』が幅広い世代の間でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。
1984年(46歳)、歌手生活30周年を迎える。
1986年(48歳)、第37回NHK紅白歌合戦で紅白歌合戦への30年連続30回出場を達成。当時の紅白史上最多記録だった。
1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、紅白連続出場記録は30回でストップ。
1988年(50歳)、『人生いろいろ』が前1987年からこの年にかけて130万枚の大ヒットを記録。当時の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」での山田邦子やコロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレークする。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。
2004年(66歳)、歌手生活50周年を迎える。第55回NHK紅白歌合戦に生涯最後となった35回目の出場を果たした(当時の紅組史上最多記録)。
2013年11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して中目黒の東京共済病院に再入院。入院先から島倉本人が南こうせつへ電話をかけ、感謝の意を伝えたという。翌々日の2013年11月8日朝に容体が急変。午後12時30分、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取った。死因は肝臓がんだった。満75歳没(享年76)。