2025年4月14日月曜日

桜田淳子



4月14日は、歌手・女優の桜田淳子(さくらだ じゅんこ)の誕生日です。1972年に「スター誕生!」で合格。1973年2月「天使も夢みる」でデビュー、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒット以降、トップアイドルとしての地位を不動のものにした。同世代の森昌子・山口百恵と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれるようになり、国民的な人気を集める。

桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、1958年〈昭和33年〉4月14日 - )は、日本の歌手、元女優。かつては、サンミュージックプロダクションに所属していた。レコード会社はビクター音楽産業。身長161cm。秋田県秋田市新屋表町出身。愛称は、ジュンペイ、淳ちゃん、ズン子。3児の母。

1972年(昭和47年)7月19日(放映は8月6日)、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行われたテレビ予選で牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格。同年9月6日(放映は9月17日)、後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した。

1973年(昭和48年)2月25日にビクター音楽産業より歌手デビュー。キャッチフレーズは“そよ風の天使”。デビュー曲「天使も夢みる」は、オリコンチャートでも12位につけるなど好スタートを切った。また、歌う時に被っていたキャスケット(2枚目のシングル「天使の初恋」まで)も桜田のトレードマークとなり、当時「エンジェルハット」と呼ばれて話題になった。この時点で既に人気アイドルの仲間入りを果たしていたが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれるようになり、国民的な人気を集める。トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いた。3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝いた。

同年11月にリリースされた4枚目のシングル「花物語」で初めてオリコンチャートのベストテン入りを果たす。続く「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」も順調にベストテン入りし、8枚目のシングル「はじめての出来事」ではオリコンチャート第1位を獲得。その後も「ひとり歩き」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風」などなど、数々のヒットを飛ばし、トップアイドルとしての地位を不動のものにした。

『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで何度もグラビアを飾っている。またしゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることも多く、フジテレビのシチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き』内でも、出演者の一人である小林聡美がたびたび桜田の物真似を披露している。

1992年6月30日、5日前に山崎浩子が2か月後に行われる世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見したのに続き、同じ合同結婚式に参加することを記者会見で表明した。

1993年の3月に公開された映画『お引越し』への最後の出演と1996年12月15日、都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバルを最後に、以降は一切の芸能活動を休止した。

2013年5月28日、サンミュージック代表取締役会長:相澤秀禎の通夜に参列し、16年半ぶりに公の場に現れた。

同年10月23日、デビュー40周年を記念し、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売。11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル〜ファン感謝DAY」を開催し、約21年ぶりにファンとの交流を果たした。

2018年2月7日、桜田淳子プロジェクトを発表。同年2月25日に35年ぶりの新録アルバム「マイ・アイドロジー」をリリース。同年3月21日にベストアルバム「Thanks45~しあわせの青い鳥」をビクター・エンタテイメントより発売、3月27日に銀座博品館劇場にて「"マイ・アイドロジー"スペシャル~ありがとうのかわりに」を開催した。

引用元:桜田淳子 - Wikipedia































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