2023年3月20日月曜日

井上正大



3月20日は、俳優の井上正大(いのうえ まさひろ)の誕生日です。2009年に特撮ドラマ「仮面ライダーディケイド」門矢士/仮面ライダーディケイド役で連続テレビドラマ初出演・初主演した。

井上 正大(いのうえ まさひろ、1989年3月20日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市緑区出身。株式会社AICライツ代表取締役社長。

2008年6月、ミュージカル『ミュージカル・テニスの王子様』にて、俳優デビュー。

2009年1月、平成仮面ライダー10作記念作品『仮面ライダーディケイド』にて門矢士 / 仮面ライダーディケイド役で連続テレビドラマ初出演・初主演を飾り、同年5月に公開された『劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦』で映画初出演、同年8月に公開された『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』で映画初主演を飾る。

2010年1月、『TAXMEN』にてニコ役で安田顕とダブル主演を務める。

2012年、『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』にて3年振りに門矢士 / 仮面ライダーディケイド役で主演を務める。同作は、スーパー戦隊シリーズ『海賊戦隊ゴーカイジャー』の主演・小澤亮太とのW主演作である。

2022年9月30日、15年間所属したボックスコーポレーションを退社。

2023年1月9日、アニメ制作会社AICライツの代表取締役に就任したことが発表された。

引用元:井上正大 - Wikipedia









2023年3月19日日曜日

山田康雄



3月19日は、俳優・声優の山田康雄の命日です。アニメ「ルパン三世」の主役・ルパン三世の初代声優でも有名。1995年3月19日没。62歳。

山田 康雄(やまだ やすお、1932年〈昭和7年〉9月10日 - 1995年〈平成7年〉3月19日)は、日本の俳優、声優、司会者。テアトル・エコーに所属していた。長男は演芸作家の山田浩康。

代表作に、ルパン三世の声(初代)や、クリント・イーストウッド、ジャン・ポール・ベルモンドの吹き替えがある。

早稲田大学第一文学部英文科入学後に、学生劇団である自由舞台に入団。役者としての一歩を踏み出した。

1953年、難関とされる劇団民藝の試験に合格。大学を中退し、研究生として入団する。しかし、自分のやりたいコメディができず厳しい基礎練習ばかりの毎日に耐えられず1年で退団、フリーとなる。

フリー転身後はラジオやテレビに出演。1958年3月、それまで何度か共演していた熊倉一雄に誘われ劇団テアトル・エコーに入団、8月に『男の中の男』の広口役で初舞台を踏んだ。

1959年、海外ドラマ『ローハイド』においてクリント・イーストウッド演じるロディの吹き替えにオーディションで抜擢(ばってき)され声優デビュー。同作のヒットにより「クリント・イーストウッドの吹き替えは山田康雄」と世間から認知されるほど有名になる。

吹き替えでは、クリント・イーストウッドの他にジャン=ポール・ベルモンドも担当。アニメでは、1971年にルパン三世役に起用されて以降、亡くなるまで約23年半演じる代表作となり、自身のライフワークとなった。また、『お笑いスター誕生!!』の司会などテレビタレントとしても活躍していた。

1980年代からはテレビタレントやナレーターとしての仕事が増加し、ナレーション以外の声優業は持ち役の再演や単発のものが多くなる。なお、アニメ出演に関してはこの頃から「ルパンだけ」と決めていたようで、新規でレギュラー出演するオファーは基本的に辞退するようになったという。

1993年春、低カリウム血症により入院。この頃から歩行困難で入退院を繰り返すほど体調が悪化し、収録は椅子に座って行う事が増えた。また、自身の死期を悟っているような言動をとることがあった他、便箋に「ハヤイ ハナシガ イショ(早い話が遺書)」と家族へ感謝を述べた文章を綴り、自宅の机にしまったりしていた。

1995年2月17日午後3時30分、脳出血のため自宅で倒れ、東京都立荏原病院に搬送される。意識不明の入院状態が続き、医師は「予断を許さない」と診断。家族は毎日看病に通い詰めたが、3月18日夜に引き揚げた後に容体が急変、3月19日午前6時35分死去。62歳没。

引用元:山田康雄 - Wikipedia




「お笑いスター誕生!!」司会の山田康雄と中尾ミエ





2023年3月18日土曜日

曽我町子



3月18日は、女優・声優・歌手の曽我町子の誕生日です。数々の特撮番組の悪の女王・魔女役を演じた事で有名。2006年5月7日没。68歳。

曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。

あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。

『チロリン村とくるみの木』のリップちゃん役で声優としてデビュー。声優としては『オバケのQ太郎』のQ太郎が著名な役の一つ。1961年、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』が映画デビュー作となる。1962年の時点では東京俳優生活協同組合に所属し、1963年の時点ではフリーランスで活動。1965年の時点ではエマノン事務所に所属。

舞台、テレビドラマでも活躍。『レインボーマン』のゴッド・イグアナ役をはじめ、スーパー戦隊シリーズ(テレビ朝日系)では『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』でヘドリアン女王、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で魔女バンドーラを演じた。その他『魔法戦隊マジレンジャー』など数々の特撮番組に出演、悪の女王・魔女役を数多く演じた。

『ジュウレンジャー』は後にアメリカでも『パワーレンジャー』シリーズとして放送されて大ヒットとなった。

1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業(後に国立市の自宅を改装して店舗を移転)、アクセサリー・オリジナル香水のデザインなど商品開発も手がけていたほか、休店日などにはファンとの交流会なども同店内で催していた。

2006年5月7日、自宅のあるマンションで亡くなっているところを、訪れた知人によって発見された(死因は膵臓癌)。68歳没。生涯独身だった。

引用元:曽我町子 - Wikipedia












「謎の女B」は1969年に映画『華やかな女豹』(日活)の挿入歌となった。平岡精二によるセルフカバーをはじめ、EGO-WRAPPIN'やキノコホテル、渚ようこらにカバーされている。後年、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)の1コーナー「うさんくさいPOPS」でも取り上げられた。



2023年3月17日金曜日

山本陽子



3月17日は、女優の山本陽子の誕生日です。

山本 陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 - )は、日本の女優。東京市(現東京都)中野区出身。左利き。株式会社三陽企画所属。國學院高等学校卒業。

高校卒業後、野村證券に勤務していたが、1963年に知人が日活に山本の応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り(同期は西尾三枝子、谷隼人、沖田峻一郎など)。1963年に女優デビュー(ただし、マスメディアによっては「1964年4月にデビュー」とする場合もある)。

映画では吉永小百合ら「日活三人娘」の人気に押され、なかなか作品には恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは日本的で清楚な美貌で人気を集めた。

清楚な役から悪女までカバーし、女優としての地位を確立。以後、幅広い役をこなす高視聴率女優の1人として人気を博す。

初舞台は1971年森光子主演の『放浪記』悠起役で初舞台を踏み、その後1980年、『花埋み』で舞台初主演して以来、舞台女優として数々の恵まれた作品に出演し精力的な活躍をしており、その演技も高く評価されている。

1994年の『おはん』の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞し、上演回数は400回以上を記録している。2006年には、舞台『いろどり橋』の演技にて名古屋演劇ペンクラブ賞を受賞。2008年、2009年には『放浪記』の舞台では今度は日夏京子役で上演回数2000回記念舞台に出演している。

山本海苔店のイメージモデルを長年務めており、2010年、42年という専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。

2012年頃から、第2の人生を楽しむために東京からとある地方で移住生活を送っている。

引用元:山本陽子 - Wikipedia











2023年3月16日木曜日

能瀬慶子



3月16日は、元アイドル歌手(1978年から1983年まで)だった、能瀬慶子の誕生日です。

能瀬 慶子(のせ けいこ、1963年(昭和38年)3月16日 - )は、日本の元アイドル。現在は、吉田慶子(よしだけいこ)。文京区立窪町小学校、文京区立第一中学校、東京都立北高等学校卒業。東京都文京区出身。身長160cm、B80cm、W60cm、H84cm(1984年4月)。

千葉県に生まれ、東京都文京区で育つ。弟が二人居る。1978年(昭和53年)高校在学中に第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで38700人の応募を勝ち抜き優勝。同年映画出演を果たし、1979年(昭和54年)にNAV(現・ポニーキャニオン)からシングル『アテンション・プリーズ』で、歌手としてデビュー。1年で4枚のシングルをリリースする。

さらに同年「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演、記憶喪失の少女・小池しのぶを演じた。ホリプロの先輩である山口百恵の代名詞とも言える「赤いシリーズ」への出演で、「百恵の妹」として期待された。

しかしながら歌手としても女優としても高い評価を得ることができず、「赤い嵐」での二重人格による豹変ぶりは当時話題となったものの、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技がお笑い芸人などによってパロディのネタにされる状態であった。このためホリプロは能瀬の後輩である比企理恵や甲斐智枝美を重点的に売り出すことを決め、能瀬の芸能活動は実質1979年の1年のみとなってしまった。

1983年(昭和58年)20歳で引退した後、ミュージシャンと結婚し3児の母となった。

一時期、湯島天神太鼓保存会の一員として活動していた。

オールナイトフジ(フジテレビ)1987年生放送にスタジオ出演。湯島天神太鼓保存会女子の部リーダーとして鉢巻とハッピ姿でのソロ出演、デビューきっかけのオーディション番組の話からドラマ「赤い嵐」のエピソードとともに現在の近況を報告した。

'88夏休みスペシャル 思い出のアイドルスター大集合in大磯(1988年7月22日生放送、フジテレビ)※「アテンション・プリーズ」を生演奏で歌唱披露した。

引用元:能瀬慶子 - Wikipedia















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